特殊潜航艇「海龍」・第四章 その2
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特殊潜航艇「海龍」・はじめに (編集者, 2007/4/6 9:38)
- 特殊潜航艇「海龍」・第二章 その1 (編集者, 2007/4/7 7:34)
- 特殊潜航艇「海龍」・第二章 その2 (編集者, 2007/4/8 7:34)
- 特殊潜航艇「海龍」・第二章 その3 (編集者, 2007/4/9 7:52)
- 特殊潜航艇「海龍」・第二章 その4 (編集者, 2007/4/10 8:04)
- 特殊潜航艇「海龍」・第二章 その5 (編集者, 2007/4/11 8:17)
- 特殊潜航艇「海龍」・第三章 その1 (編集者, 2007/4/12 7:37)
- 特殊潜航艇「海龍」・第三章 その2 (編集者, 2007/4/13 8:31)
- 特殊潜航艇「海龍」・第三章 その3 (編集者, 2007/4/14 7:10)
- 特殊潜航艇「海龍」・第四章 その1 (編集者, 2007/4/15 7:52)
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特殊潜航艇「海龍」・第四章 その2 (編集者, 2007/4/16 7:10)
- 特殊潜航艇「海龍」・第四章 その3 (編集者, 2007/4/17 10:11)
- 特殊潜航艇「海龍」・第四章 その4 (編集者, 2007/4/18 8:54)
- 特殊潜航艇「海龍」・第四章 その5 (編集者, 2007/4/19 7:45)
- 特殊潜航艇「海龍」・第四章 その6 (編集者, 2007/4/20 8:05)
編集者
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(3)穴から覗いて達着訓練――――――――――――――――
本物の海龍に乗って操縦訓練を始める。
まず最初は達着訓練、飛行機でいえば、離着陸の訓練である。
昔、練習機(通称赤トンボ)の後部座席に乗って、初めて慣熟飛行の空に舞い上がったときの興奮は、今でも良く覚えているが、海龍に初めて搭乗して、潜望鏡(特眼鏡といった)から外界を覗いた時の事は覚えていない。
多分、教官が艇の上に乗り、ハッチは開けたままで、大声で指示をしたのだろう。
海龍は2人乗りで、艇長が潜望鏡を覗いて号令を下し、艇付(甲種飛行予科練生出身の一飛曹)が操縦桿を握って操舵する。ただし、達着訓練のように初期の訓練のときは、まだ自分の艇付は決まっていなかったから、誰かベテランの艇付が操縦してくれたのだと思う。
潜水学校のときに、上陸用舟艇を使って達着訓練をしたが、周囲が自由に見回せる状態でも難しいのに、今度は潜望鏡という、いわば穴の中から外を覗いた状態で行なうのである。そんなムチャな、といいたいが、やらなきゃしょうがない。
最初から巧く出来るものは一人もいない。だが、2度、3度と繰り返しているうちに、コツが分かった。
車の車庫入れでもそうだが、ただ漠然とバックしているのではなく、右のドアミラーで車庫の右壁を睨んでバックを始め、右後輪が壁を交わしたら、左のドアミラーで、車庫の左の壁と車の左後ろとの間隔を見る。これもうまく交わしたら、車の正面を見て、車が車庫と平行になるようハンドルを戻し、右横を見て停車位置の目印の所に来たら車を止める。
要所、要所で見るところが定まっているのである。
潜望鏡を進行方向に向け、岸壁に斜めに進む。岸壁が近くなったら、「エンジンていし、おもかじいっぱーい」。
艇が岸壁と平行になる直前に、「とりかじいっぱーい、こうしんびそーく」と号令して、今度は艇尾を見る。艇尾が岸壁に寄っていくのを見て、「もどーせー」。
潜望鏡を左に向けて、岸壁を見る。艇が目標地点の横に来ていれば、「エンジンてーし」。艇が前または後に動いているようなら、後進または前進をかけて行き足を止める。この間、潜望鏡は岸壁の一点を見詰めて、艇の動きを判定する。
早速、予備学生全員で研究会を開いて、陸上で艇の動きを想定して、後ろを見たり、横を見たりしながら号令をかける。
この段階を修了しないと、先へ進ませてもらえないから、皆熱心である。特訓の効果があって、全員が割合すんなりと、この教程を終わった。
(4)6号ドックで海龍を造る―――――――――――――――
柔道場での寝泊まりは10日間ほどで終わり、同じ基地内の元海軍機関学校校舎に移転する。
転輪羅針儀《ジャイロコンパス》だとか、魚雷だとかの学科の講義が続く合間に、海軍工廠の見学があった。トンネルを抜け、横須賀基地の西側に出ると、戦艦「長門」が係留されており、偽装網《迷彩した網》を被って、山陰に隠れるようにひっそりとしている。帝国海軍の象徴として子供の頃から親しんでいた「長門」が、威風堂々と停泊しているのではなく、山陰に隠れているのである。これは思いも掛けぬ光景であった。
帝国海軍のスターが、もはや太平洋に出撃する戦艦としての誇り有る姿ではなく、対空砲台としての零落れた姿をさらしているのである。
「長門」の傍を通り、6号ドックへ行く。この間、「2歩以上は駆け足」という嵐部隊のきまりで、ずっと走りどうしである。私は歩いたり走ったりするのが嫌いで、それで海軍に入ったのに、なんたることか思いながら走る。
6号ドックは「長門」や「信濃」の建造に使われた巨大なドックである。戦艦や空母がそっくり入れるドックに、今や目刺しのように並んで約100隻の海龍が建造されていた。
わが国の建艦能力は、もはや潜水艇しか作れないのだ、と悲しくなる。
海龍は大量生産に向くように、前部、中部、後部の3つに分解して作られ、それを溶接して完成艇にするのだという。はるかドックの底で、電気溶接の火花が散っている。
この海龍が出来上がる7月になればすごい戦力になるぞと、教官は威勢の良いことを言うが、10隻作っても、検査には1隻しか合格しないという。水が漏るのだそうだ。潜水艇が水洩れしてどうなる。
予備学生120名分の艇を作るには、1200隻を作らなければならぬ。そんなに材料が有るのかと心配になる。
再び「長門」の傍を駆け足で通って帰る。教官にすれば、建造中の海龍を見せて、我々を発奮させようと思ったのかもしれないが、あまり意気上がらない見学であった。
(5)海龍と魚雷発射―――――――――――――――――――
昭和20年5月21日であったと思うが、海龍による魚雷発射を、教官が見本を示すというので、工廠から内火艇《内燃機関で走る船》に分乗して、試験海域で待つ。
海龍に搭乗しているのは、海龍の開発当初から操縦に携わっている、ベテラン中のベテラン。
前方に赤い旗を立てた漁船が浮かんでいる。それが目標らしい。その300メートルほど手前に、海龍が浮上停止するが、なかなか発射しない。
先日の座学では、艇首を水平から5度ほど下げた状態で発射しないと、魚雷が水上に飛び出してしまうと聞いていたので、艇のバランスをその状態に持っていくのに時間がかかっているのかなと思いながら、10分か20分ほど待つ。
歓声が上がったので見ると、魚雷が海面を飛び跳ねたり潜ったりしながら進んで行く。海龍の後ろには白い煙と、細長い筒が海面から突き出している。これは「射出筒」といって、魚雷の入れ物である。
海龍の魚雷搭載については、はじめは魚雷をむきだしのまま艇にぶら下げる積もりであったが、魚雷を数日も水中にさらすことは出来ないというので、筒の中に魚雷を格納しておくことにしたのだそうだ。
魚雷の入った射出筒2本を艇の下部左右にレールで取り付け、筒の中の火薬で魚雷を発射する。魚雷は前へ飛び出し、射出筒は後ろへレールから外れる。
実戦ではどういうことになるか。海龍が幸いにして水中ひそかに敵に忍び寄り、魚雷を発射しても、白煙が上がり、射出筒が海面から突き出るのであるから、艇の位置はばれてしまう。
それよりも、潜水艇が浮かんだ状態で、10分間も「さあ、撃ちますよ」と静止していたのでは、魚雷を発射する前にやられてしまう。
ベテランの教官がやってあれだから、我々がやったらどうなる。道遠しだなあと帰ってきた。
本物の海龍に乗って操縦訓練を始める。
まず最初は達着訓練、飛行機でいえば、離着陸の訓練である。
昔、練習機(通称赤トンボ)の後部座席に乗って、初めて慣熟飛行の空に舞い上がったときの興奮は、今でも良く覚えているが、海龍に初めて搭乗して、潜望鏡(特眼鏡といった)から外界を覗いた時の事は覚えていない。
多分、教官が艇の上に乗り、ハッチは開けたままで、大声で指示をしたのだろう。
海龍は2人乗りで、艇長が潜望鏡を覗いて号令を下し、艇付(甲種飛行予科練生出身の一飛曹)が操縦桿を握って操舵する。ただし、達着訓練のように初期の訓練のときは、まだ自分の艇付は決まっていなかったから、誰かベテランの艇付が操縦してくれたのだと思う。
潜水学校のときに、上陸用舟艇を使って達着訓練をしたが、周囲が自由に見回せる状態でも難しいのに、今度は潜望鏡という、いわば穴の中から外を覗いた状態で行なうのである。そんなムチャな、といいたいが、やらなきゃしょうがない。
最初から巧く出来るものは一人もいない。だが、2度、3度と繰り返しているうちに、コツが分かった。
車の車庫入れでもそうだが、ただ漠然とバックしているのではなく、右のドアミラーで車庫の右壁を睨んでバックを始め、右後輪が壁を交わしたら、左のドアミラーで、車庫の左の壁と車の左後ろとの間隔を見る。これもうまく交わしたら、車の正面を見て、車が車庫と平行になるようハンドルを戻し、右横を見て停車位置の目印の所に来たら車を止める。
要所、要所で見るところが定まっているのである。
潜望鏡を進行方向に向け、岸壁に斜めに進む。岸壁が近くなったら、「エンジンていし、おもかじいっぱーい」。
艇が岸壁と平行になる直前に、「とりかじいっぱーい、こうしんびそーく」と号令して、今度は艇尾を見る。艇尾が岸壁に寄っていくのを見て、「もどーせー」。
潜望鏡を左に向けて、岸壁を見る。艇が目標地点の横に来ていれば、「エンジンてーし」。艇が前または後に動いているようなら、後進または前進をかけて行き足を止める。この間、潜望鏡は岸壁の一点を見詰めて、艇の動きを判定する。
早速、予備学生全員で研究会を開いて、陸上で艇の動きを想定して、後ろを見たり、横を見たりしながら号令をかける。
この段階を修了しないと、先へ進ませてもらえないから、皆熱心である。特訓の効果があって、全員が割合すんなりと、この教程を終わった。
(4)6号ドックで海龍を造る―――――――――――――――
柔道場での寝泊まりは10日間ほどで終わり、同じ基地内の元海軍機関学校校舎に移転する。
転輪羅針儀《ジャイロコンパス》だとか、魚雷だとかの学科の講義が続く合間に、海軍工廠の見学があった。トンネルを抜け、横須賀基地の西側に出ると、戦艦「長門」が係留されており、偽装網《迷彩した網》を被って、山陰に隠れるようにひっそりとしている。帝国海軍の象徴として子供の頃から親しんでいた「長門」が、威風堂々と停泊しているのではなく、山陰に隠れているのである。これは思いも掛けぬ光景であった。
帝国海軍のスターが、もはや太平洋に出撃する戦艦としての誇り有る姿ではなく、対空砲台としての零落れた姿をさらしているのである。
「長門」の傍を通り、6号ドックへ行く。この間、「2歩以上は駆け足」という嵐部隊のきまりで、ずっと走りどうしである。私は歩いたり走ったりするのが嫌いで、それで海軍に入ったのに、なんたることか思いながら走る。
6号ドックは「長門」や「信濃」の建造に使われた巨大なドックである。戦艦や空母がそっくり入れるドックに、今や目刺しのように並んで約100隻の海龍が建造されていた。
わが国の建艦能力は、もはや潜水艇しか作れないのだ、と悲しくなる。
海龍は大量生産に向くように、前部、中部、後部の3つに分解して作られ、それを溶接して完成艇にするのだという。はるかドックの底で、電気溶接の火花が散っている。
この海龍が出来上がる7月になればすごい戦力になるぞと、教官は威勢の良いことを言うが、10隻作っても、検査には1隻しか合格しないという。水が漏るのだそうだ。潜水艇が水洩れしてどうなる。
予備学生120名分の艇を作るには、1200隻を作らなければならぬ。そんなに材料が有るのかと心配になる。
再び「長門」の傍を駆け足で通って帰る。教官にすれば、建造中の海龍を見せて、我々を発奮させようと思ったのかもしれないが、あまり意気上がらない見学であった。
(5)海龍と魚雷発射―――――――――――――――――――
昭和20年5月21日であったと思うが、海龍による魚雷発射を、教官が見本を示すというので、工廠から内火艇《内燃機関で走る船》に分乗して、試験海域で待つ。
海龍に搭乗しているのは、海龍の開発当初から操縦に携わっている、ベテラン中のベテラン。
前方に赤い旗を立てた漁船が浮かんでいる。それが目標らしい。その300メートルほど手前に、海龍が浮上停止するが、なかなか発射しない。
先日の座学では、艇首を水平から5度ほど下げた状態で発射しないと、魚雷が水上に飛び出してしまうと聞いていたので、艇のバランスをその状態に持っていくのに時間がかかっているのかなと思いながら、10分か20分ほど待つ。
歓声が上がったので見ると、魚雷が海面を飛び跳ねたり潜ったりしながら進んで行く。海龍の後ろには白い煙と、細長い筒が海面から突き出している。これは「射出筒」といって、魚雷の入れ物である。
海龍の魚雷搭載については、はじめは魚雷をむきだしのまま艇にぶら下げる積もりであったが、魚雷を数日も水中にさらすことは出来ないというので、筒の中に魚雷を格納しておくことにしたのだそうだ。
魚雷の入った射出筒2本を艇の下部左右にレールで取り付け、筒の中の火薬で魚雷を発射する。魚雷は前へ飛び出し、射出筒は後ろへレールから外れる。
実戦ではどういうことになるか。海龍が幸いにして水中ひそかに敵に忍び寄り、魚雷を発射しても、白煙が上がり、射出筒が海面から突き出るのであるから、艇の位置はばれてしまう。
それよりも、潜水艇が浮かんだ状態で、10分間も「さあ、撃ちますよ」と静止していたのでは、魚雷を発射する前にやられてしまう。
ベテランの教官がやってあれだから、我々がやったらどうなる。道遠しだなあと帰ってきた。