増補版・表参道が燃えた日・2
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編集者
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増補
四人の児を失って 本間 敬之
本間敬之さんは五月二十五日の空襲で、二人の娘、二人の息子を失いました。この詩は亡き娘房子さん(当時十七歳、陸軍軍医学校渋谷分室勤務)を通して語らせた詩からの抜萃です。
(編集委員会)
越えてまたまた二五日よる
空襲警報人びとの
寝つきの夢を驚かし
鳴りも終わらぬそのうちに
前にも増した大編隊
あとからあとからやってくる
前の日残った町々を
目標にしてものすごく
投弾すればおりもおり
強まる風にあおられて
見る見る火炎は猛烈に
舐るがように建てものの
大小とわず焼きはらう
被災都民の老若は
命からがら逃げまどう
残忍あくなき編隊は
それらの人の群れにまで
追いかけ追いかけ撃ちまくる
死者重傷者数しれず
付近に住まうわが家には
父さん留守に姉さんが
二人の弟かばいつつ
一生懸命防空に
尽くしていること気にかかり
室長どのにおゆるし得
火炎の中を駆けつけて
助力の功の甲斐もなく
家財は焼かれ力つき
姉弟三人手をとりて
穏田橋にたどりつき
渡る間もなく火の海に
とりまかれつつ斃れゆく
姿かすかに見るうちに
私も半身やけどして
柱にもたれだんだんと
はやる気力も尽きはてて
死をまつばかりとなりました
この時寮友出羽さんと
沢山さんのお二人が
火炎おかして私の
身の上あんじ応援に
駆けつけて直ぐ私をば
校にはこんで親切な
お手当てのため寝食も
忘れてお看護頂いた
おかげをもって一命を
一時なりとも助けられ
死んだ姉弟三人の
健気な最後の有様を
親しく父に告げ得たは
不幸中にも有がたい
なおその前に私は
穏田川に落ちこんで
危くおぼれかけた時
飯野お姉さんといま一人
見知らぬ他のおじさんに
お助け頂きましたこと
共に忘れぬうつし世の
尽きぬ喜び感謝です
ようやく二度まで皆さまの
貴い愛のお助けを
受けて何らのお報いも
叶わずついに六月の
一〇日の夕べ息たえて
天のみ国に入りました
ああうつし世にありし時
お勤め浅い私を
ほんとの妹どうように
多くの姉さま兄さまや
分室長どのまで
チャコチャコと
わが娘のようにいたわりて
ご指導下されましたこと
永遠に忘れぬ何よりの
貴い記念となりました
終戦一〇年いまとなり
改めての感謝をば
ささげて更に皆さまと
お国の栄えを祈ります
この惨酷の戦いが
二度と世界のどこにでも
おこらぬように念じます
科学の進歩はよいけれど
原水爆とかいう武器で
むりな戦争はじめたら
貴いわれ等の犠牲まで
水泡に帰しそのうえに
世界のどこの国々も
人の伝えぬ忌わしい
地獄の底となりましょう
どうか皆さまお力を
合わせて悪い人びとの
考え改め神さまの
正しいみ旨に導いて
みんな仲よく睦みあい
平和な世界ができるよう
ひたすらお祈りいたします
さらば皆さまさようなら
昭和四六年五月三〇日、
父、本間敬之しるす
(渋谷区穏田二丁目)