増補版・表参道が燃えた日・9
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増補版・表参道が燃えた日 (編集者, 2009/11/9 8:11)
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編集者
居住地: メロウ倶楽部
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五月二十五日の空襲の夜を伝える・その5
自分の家が早くもえ出したので、表通りもまだ火に成らず楽々と通りました。父上と母上は今しばし家の火を見定めてからと、一足先に私と久美子ときよと行きましたが、路々(みちみち)ザーザー・ズシンが頭上にするので幾度か道に臥しました。墓地の途中長谷病院はまだ平穏無事でした。父上と母上とてい〔使用人〕と墓地にて一緒に成り、かねての申合わせ通り宮口へと思いましたが、向うも同じ火の上った夜に、遠けれど伊皿子へと思い巡査に聞きましたが、とても遠くてむづかしい、此處(ここ)が一番安全地帯との事に此處にて夜を明かしました。
やがて長谷先生も、もう火が近く望みなければとてお見えになり、病人も先生のお宅のお墓の中に寝かせてありました。ますます風は樹木も飛ばんばかり強くなりますし、青山通りも一面火に成り、墓地の高台からは実に四方共あかあかと天を焦がすばかりにますます燃え広がり、どう成り行くかと心細く成りましたが、さしもの火も、はや焼き尽くし自然に止ってしまいました。
一応焼跡にと、群〔隣組〕の申合わせにて五時過ぎ家に帰りましたが、はや跡形も無く地下室だけが盛んに燃えて居りました。まず心にかかる防空壕はいかにと走り込みましたら、あの猛火の中に不思議と無事(ぶじ)事なきを得ました。まったく私の大切に抱えていた祖父上〔英之介〕、紀美子〔英夫の妹〕の御魂のおかげとふし拝みました。先に逃げるとたんママと久美にて全部投げ込み土をかけるひまもなく、戸の板を入口にのせただけにて袖垣の火の粉が戸に止まるのを消し止めた事とて、久美子は戸の丈(たけ)も足りず中が見えていた位とて駄目としきりに残念がっておりました。この荷物を失えばいかんとも致し難(がた)く、着た切りにて消火に懸命にて皆手に手にバケツ、桶をもちて逃げた有様、着物は水びたしでした事とて実に嬉しう御座いました。
さて、何處(どこ)へ落ち付いたものかと早速宮口へ父上行かれましたが、二軒共はや灰になり、もしや三島〔親戚〕が無事かと行かれました。会社の寮とて、私達も泊る資格もあります。無事という事を見定め其處(そこ)へ一(ひと)まず落ち付き、権守(ごんもり)〔使用人〕、ていもアパートが全焼しましたので来ました。権守を使者に伊皿子へやりましたらば、はや焼けたあとと申して帰りました。身寄りの無い人の心細さをつくづく察しが出来ました。是丈(これだけ)たくさんの親類が同時に家無しと成りますとは完(まった)く戦火ならでは無い事と、其の苛烈(かれつ)さを今更に思い知りました。
町会の事務員は焼夷弾にてうでを失いました。宅には二、三十発も、しかも大きな元の入れ物〔焼夷弾は何本かをまとめて一つの容器に入れて投下され、空中で容器がはずれ、ばらばらになって落下するようになっていたが、その容器のこと〕まで落ちて居りました。よくも一同の身に当りませんでした。
寮に五日居りまして開通をまち、江の島廻(まわ)りの電車にて罹災者(りさいしゃ)として鎌倉宅にたどりつきました。靖夫〔英夫の弟〕は写真〔英夫の姉恵美子の結婚写真〕の一部が出来ましたので二五日に使いに鎌倉にやり、そのまま空襲にて不通に成り帰られませんでした、居てくれたらば、も少し荷物がと思いますのはぐちで御座いましょう。自転車も全部焼けました。
明石家に当分本拠を置き私と久美子と鎌倉に暮らすでしょう。又お知らせ申します。安否のわかる迄の御不安御察し申します。くれぐれも御自愛祈ります。
救急袋其の夜出来上り、外(ほか)の品とよき便にと思いつつ、家と運命を共にしてしまいました。
三千子