増補版・表参道が燃えた日・7
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増補版・表参道が燃えた日 (編集者, 2009/11/9 8:11)
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編集者
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五月二十五日の空襲の夜を伝える・その3
其の日、夜十時半か十一時かと思います。警報発令、数目標との事で風も強く皆充分に身ごしらえをしました。初(はじめ)は房総方面より入り、東南から一、二機ずつ入り、何(ど)うも遠からぬ頭上を通ります。焼夷弾のみにて火事も初は割りと遠く〔判読不能〕町とおぼしき方角の火の手ますます盛んに広がりますが、前日の空襲の火災は宮口さんの下道も海軍館〔戦後日本社会事業大学、現在は原宿警察署〕の後ろ、池田侯爵(こうしゃく)家ももえましたので其の日は遠いのでその後安心しましたものの、やがて静岡方面から入りましたのからますます頭上を通るように成り、皆地下室、防空壕から出たり入ったりして只只火を気を付けました。庭の壕に入って久美子〔英夫の妹〕と居りますと、一つ脇の下水の外にひどい音がしてザーザーズシンと壕の羽目が二、三枚飛びましたので、すはと折りを見定め出ますとたん、屋根の上にバラバラと火が落ちてきました。とたん、ママ〔徳子。英夫の母〕の声が〔判読不能〕にして焼夷弾落下々とさけびつづけました。ああしまったと、縁から半分は下の叩きに落としてあった鞄(かばん)の残りを引きずり下し、風呂敷包み迄もしや防空壕に入れるひまがあったらと頼みに行き、急ぎ並べ、家の中に飛び込み、声のする湯殿の口へ行きますと、裏の山田炭屋がもえ上がったところ、隣家堀田さん垣根からも火が見えます。風呂に一杯〔原文は一配〕の水をバケツにくんでは、きよ〔使用人〕に渡し、かけました。風下故これは防ぎさえすればコンクリートの塀故、延焼は大丈夫と思いました。ますます火が強く、風も吹きすさびますので、きよが、幾度か奥様もう駄目ですと申すのをはげまし運びつづけましたが、夢中の中にもザーザーズシンと音がしつづけますので家中を見廻(まわ)りますと、いつもの段梯子(だんばしご)の下(食堂の入口)に一尺五寸位の焼夷弾が落ち油が流れ、段の四、五段の所にもえ出して居ました。直(す)ぐバケツの水三、四杯運び消しとめました。又、中庭の縁の下が火を吹き始めました。是(これ)も横から縁の上からと、きよと水をかけつづけ消し止めましたが、内玄関の外にも火がもえ、電話室の裏にももえ出し次の洗面所〔使用人の洗面所〕の窓も、はや火がうつりました。もう手に及ばぬとかんねんはしたものの、又奥へ行きますと同時に、ザーザーズシンと頭の上にて凄(すご)い音がして思わず腹ばいに成ってしまいました。家が頑丈なので、二階にて焼夷弾が止(とま)ったと見えます。