増補版・表参道が燃えた日・5
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増補版・表参道が燃えた日 (編集者, 2009/11/9 8:11)
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編集者
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五月二十五日の空襲の夜を伝える・その1
越 三千子
この手紙は、明治神宮表参道の近くに住んでいた越三千子さんが孫の越英夫さん宛てに出したものです。三千子さんは昭和二十年当時六十歳、英夫さんは新潟高校(旧制)在学中で、学徒動員のため富山の軍需工場で働いていました。その頃は郵便の規制や検閲もあって、郵便はなかなか届きませんでした。英夫さんは、父君達三氏が戦時中出向していた鉄鋼統制会に関連する工場に行っていましたので、手紙はまず達三氏に託され、そこから英夫さんの工場宛てに回送されるという特別なルートで届いたといわれます。何日位かかったかは不明です。事務用罫紙七枚の表裏にぎっしり、空襲の夜の状況が書かれています。
個人の私的な手紙だけれども何かの資料としてお役にたてばということで、英夫さんから編集委員会に送られてきました。英夫さんが子供や孫たちにも読めるようにと〔注〕を加え、わかりやすくワープロでうったものも同封されていました。
提供者の意向に添い承諾もいただいたので、本誌に掲載することにしました。
掲載にあたっては、原文をなるべく生かすように心がけましたが、仮名遣いは現代仮名遣いに改め、読みにくい漢字にはルビをふりました。注は〔 〕内に、英夫さんが記したものに編集者が補足しました。
(編集委員会)
差出人:東京都麹町区丸の内貳丁目貳拾番地壱
鐵鋼販賣統制會式會社
専務理事 越 達三
回送された手紙の外封筒
差出人:「護國第一〇五八工場」