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増補版・表参道が燃えた日・17

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通常 増補版・表参道が燃えた日・17

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2009/11/27 7:17
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 編集後記

 かつての大戦中、国民は正しい情報を知らされませんでした。三月十日に始まる予想もしていなかった夜間の大空襲に逃げ惑った人、命を落とした人たちは、なぜ急にこんな目に遭わなければならないのかと思ったことでしょう。戦後、国は戦争犠牲者(遺族も含め)に適切な対応をしてきたでしょうか。

 善光寺での懇談の模様を冒頭に記しましたが、一男性の問いかけに誰も確かな回答ができませんでした。トラックに積まれた遺体をどこに運ぶのかと聞いたら、「上からの秘密だ」と言われたとか、仮埋葬したままその上に学校が建ったという噂を聞いたとかという話が飛び交いました。身元がわかる名札が付いていたり、身内がいっしょにいた人は記録され、のちに慰霊堂に納骨されたようですが、残された疎開していた子どもや、出征や、動員されていた人たちは、遺骨の行方は知る由もありません。尋ね、訪ねまわったら、事情は教えてもらったものの詳細はわかりません。

 完全なものとはいえませんが、私たちは東京都慰霊協会および東京空襲を記録する会でまとめた仮埋葬、納骨についての資料を入手しました。

 原宿一丁目の新道で多くの犠牲者が出たことについて、書かれている死亡者数がそれぞれ大幅に異なるので区役所、図書館で調べてみました。渋谷区史には二十五日の死亡者合計数が載っているだけで、元になるデーターはありません。もっともその当時は区にはそのような職務も権限もなく、担当していたのは警視庁、消防署、東京都でした。なお調査は続けたいと思います。

 戦災についての資料は、公の機関では乏しく(公開されていないのかもしれません)、民間のかたの努力でかなり集められてきましたが、山の手地域だけでも百五十万といわれる罹災者の情報はまだまだ不足しています。

 戦災を体験されたかたの記憶が重要な証言になることがあります。歴史の事実を正しく記録し後世に伝えるために、戦争を知らない若いかたにはご両親、祖父母からの話を伺って書き留めていただきたいと思います。

 二〇〇九年八月

   「表参道が燃えた日」編集委員会

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