増補版・表参道が燃えた日・8
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増補版・表参道が燃えた日 (編集者, 2009/11/9 8:11)
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編集者
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五月二十五日の空襲の夜を伝える・その4
隣家の二階に上がり、焼夷弾をつまみ出し消火に懸命になっていられた父上〔英夫の父達三〕もとんで来てもうだめだとさけび出しました。私も最後だと急ぎ未だ火のまわらぬ地下室に行き、例のおイハイ〔お位牌〕の箱を抱え、せめて地下室の食料丈(だけ)なりと助けたいと思い、戸を固く〆(し)め、上にはい上がりましたり、最後庭へ投げ出すやら、女中達にいつも申しつけました白米一斗の鞄(かばん)とかつぶしのかん、玉子の籠(かご)のうち、白米のかばんを庭に投げんとしましたが、はやバラの花壇に落ち火がもえ、ちらと自分の部屋の窓当りにも火が見えましたのでそのまま手に持ち表の座敷から庭に投げ、自分もいつも其處(そこ)にぬいで置く草履(ぞうり)をはいて庭に飛び下りんと走り行きましたがすっかり戸が〆(し)めあり、引けどサンが下りてあかず、がっかりしました。サンをあけ戸をあけんと後ろに気を付けますと、はやお佛壇(ぶつだん)の前の天井から火がドサン、ドサンと落ちて来ましたので、(定(さだ)めし二階は一面火になっておりましたでしょう)、もうおしまいとあたりに人影もないので、其のまま米はすてて、おいはい丈(だけ)かかえ裏の廊下から表玄関に出んとしますと、押入れにも煙りと火が吹き居(お)り、其處(そこ)で父上とぶつかり、一處(いっしょ)に表に飛び出しました。庭のさかえ〔堺〕の柴垣は一面の火に成っていました。先に縁の下に投げ下した鞄が誰か防空壕に入れたかいろいろ心にかかりましたが、見定める事が出来ません。参道迄行く道の魚屋、材木屋が盛んにもえ、通り抜けが其後むづかしいようでした。ようように抜け、参道に出て母上〔徳子〕と久美子ときよと一處(いっしょ)に成りほっとしました。其の時はまだ伊藤病院は煙だけ窓から出ていました。四十五群〔隣組〕の申合わせ通り代々木原〔現在の代々木公園一帯で、当時は陸軍の練兵場であった〕へ行きましょうとするには、アパート〔表参道に面した同潤会青山アパート、現在の表参道ヒルズ〕前から下迄油脂が流れ、一面ローソクの火のように点々と燃え上り通られませんので青山墓地へと急ぎました。