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団塊の世代が語る高度成長期―記憶をたどって:No.9再び昭和30年代‐裁縫箱の憶い出

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sumidagawa60

通常 団塊の世代が語る高度成長期―記憶をたどって:No.9再び昭和30年代‐裁縫箱の憶い出

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2013/3/3 23:57
sumidagawa60  常連 居住地: 埼玉県羽生市  投稿数: 57
話の展開が、途中から昭和の”三種の神器”の話題に夢中になってしまって、時代が前後してしまった。


この辺でもう一度時計の針を巻き戻して、再度、私の小学生時代(昭和30年から昭和35年)についての思い出を語ることにしよう。


小学校低学年時代のことで、今でも忘れられないのは、裁縫箱のこと。2年か3年の時、担任の先生が、今度の家庭科の授業までに裁縫箱を用意してくださいとおっしゃった。母親に話したら、さっそく用意してくれたのは、自分がイメージしてたものとは違って、”おふくろの手作り”の紙製のものだった。「こんなのじゃ、いやだ」と駄々をこねて、母親を困らせ、やっとのことで買ってもらったのが、写真にあるセルロイド製の裁縫箱だった。

        (「昭和日常博物館」の写真を転載)



セルロイドとは、今でいうプラスチックのような合成樹脂で、当時の子供にとっては、紙や布とは違う何か、文化的な香りのするものだった。まだ、玩具には使われてなかった。


弁当箱だって、セルロイド製のものは、まだなくて、当時はアルマイト製(ブリキのようなもの)の日の丸弁当が、普通だった。それを新聞紙にくるんでカバンの中に入れて、学校に持って行き、冬になると、ストーブで温めてもらった。その匂いが教室のなかに漂っていた。


本当は、小学校の低学年時代の思い出として、ランドセルのことを書きたかったのだが、私としては、ランドセルを背負った記憶がない。ランドセルの普及は、昭和30年代からというのが定説だが、地域によって早い、遅いがあったようだ。


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