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団塊の世代が語る高度成長期―記憶をたどって:No.10再び昭和30年代‐プレハブ校舎と学校給食

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sumidagawa60

通常 団塊の世代が語る高度成長期―記憶をたどって:No.10再び昭和30年代‐プレハブ校舎と学校給食

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2013/3/18 0:58
sumidagawa60  常連 居住地: 埼玉県羽生市  投稿数: 57
団塊の世代(昭和22年~24年生まれ)は、いつの時代も生存競争がついて回る。宿命なのだと思っている。


小学校時代は、仮設プレハブ校舎、体育館もまだなかった。一クラス55人学級、一学年で10クラス以上があたりまえ。(ちなみに現在の状況を確認すると、一学年3クラス、30人学級が普通とのこと。この一年間の出生数は、120~130万人:私たちの頃は250万人もいたのだから)


私の小学校、稲沢西小学校で学校給食が始まったのは、確か4年生(昭和33年)の頃だった。給食当番の生徒が、それぞれ頭に三角頭巾をかぶって配膳係を務め、配り終わるのを待って、先生の号令一過みんなで一斉に、昼食をとった。残さず、というのも躾の内だった。


それでも、好き嫌いのある子は、結構、食べ残した。特に脱脂粉乳の匂いが苦手な子が多かったようだ。私は、生来好き嫌いがないというか、残すのがもったいなくて、なんでも食べた。その点では優等生だった。


メニューは、大体、コッペパンと脱脂粉乳(牛乳の代わり)に
メンチカツにキャベツを添えたもの、或いはナポリタンのスパゲッティー。カレーもよく出た。


下の写真は、(社)日本酪農乳業協会のHPから:
食器はアルマイト製のカップとスプーン。フライの
肉は、今では希少品となってしまった鯨肉の竜田揚げ、
当時は安価な蛋白源としてよく口にしたものだ。












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