団塊の世代が語る高度成長期―記憶をたどって:No.10再び昭和30年代‐プレハブ校舎と学校給食
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団塊の世代が語る高度成長期―記憶をたどってNo.1幼年時代‐昭和20年代 (sumidagawa60, 2013/2/9 20:06)
- 団塊の世代が語る高度成長期―記憶をたどって:No.2 昭和30年代 (編集者, 2013/2/14 7:50)
- 団塊の世代が語る高度成長期―記憶をたどって:No.3 白黒テレビの登場 (編集者, 2013/2/14 7:58)
- 団塊の世代が語る高度成長期―記憶をたどって:No.4 白黒テレビの普及 (編集者, 2013/2/14 8:00)
- 団塊の世代が語る高度成長期―記憶をたどって:No.5日米宇宙中継とケネディー暗殺事件 (sumidagawa60, 2013/2/14 10:50)
- 団塊の世代が語る高度成長期―記憶をたどって:No.6東京オリンピックとカラーテレビ (sumidagawa60, 2013/2/17 12:25)
- 団塊の世代が語る高度成長期―記憶をたどって:No.7電気洗濯機の普及 (sumidagawa60, 2013/2/18 20:59)
- 団塊の世代が語る高度成長期―記憶をたどって:No.8電気冷蔵庫の普及 (sumidagawa60, 2013/2/22 22:56)
- 団塊の世代が語る高度成長期―記憶をたどって:No.9再び昭和30年代‐裁縫箱の憶い出 (sumidagawa60, 2013/3/3 23:57)
- 団塊の世代が語る高度成長期―記憶をたどって:No.10再び昭和30年代‐プレハブ校舎と学校給食 (sumidagawa60, 2013/3/18 0:58)
- 団塊の世代が語る高度成長期―記憶をたどって:No.11再び昭和30年代‐伊勢湾台風の記憶 (編集者, 2013/3/23 6:21)
- 団塊の世代が語る高度成長期―記憶をたどって:No.11再び昭和30年代前半‐遠足と肥だめ (sumidagawa60, 2013/3/25 0:01)
- 団塊の世代が語る高度成長期―記憶をたどって:No.12再び昭和30年代後半‐中学入学と初恋 (sumidagawa60, 2013/3/28 23:39)
- 団塊の世代が語る高度成長期―記憶をたどって:No.13再び昭和30年代後半‐クラブ活動と体罰 (sumidagawa60, 2013/4/9 23:27)
- 団塊の世代が語る高度成長期―記憶をたどって:No.14再び昭和30年代後半‐青春歌謡の時代 (sumidagawa60, 2013/4/12 23:37)
- 団塊の世代が語る高度成長期―記憶をたどって:No.16再び高校時代に戻り! (sumidagawa60, 2013/4/18 23:56)
sumidagawa60
居住地: 埼玉県羽生市
投稿数: 57
団塊の世代(昭和22年~24年生まれ)は、いつの時代も生存競争がついて回る。宿命なのだと思っている。
小学校時代は、仮設プレハブ校舎、体育館もまだなかった。一クラス55人学級、一学年で10クラス以上があたりまえ。(ちなみに現在の状況を確認すると、一学年3クラス、30人学級が普通とのこと。この一年間の出生数は、120~130万人:私たちの頃は250万人もいたのだから)
私の小学校、稲沢西小学校で学校給食が始まったのは、確か4年生(昭和33年)の頃だった。給食当番の生徒が、それぞれ頭に三角頭巾をかぶって配膳係を務め、配り終わるのを待って、先生の号令一過みんなで一斉に、昼食をとった。残さず、というのも躾の内だった。
それでも、好き嫌いのある子は、結構、食べ残した。特に脱脂粉乳の匂いが苦手な子が多かったようだ。私は、生来好き嫌いがないというか、残すのがもったいなくて、なんでも食べた。その点では優等生だった。
メニューは、大体、コッペパンと脱脂粉乳(牛乳の代わり)に
メンチカツにキャベツを添えたもの、或いはナポリタンのスパゲッティー。カレーもよく出た。
下の写真は、(社)日本酪農乳業協会のHPから:
食器はアルマイト製のカップとスプーン。フライの
肉は、今では希少品となってしまった鯨肉の竜田揚げ、
当時は安価な蛋白源としてよく口にしたものだ。
小学校時代は、仮設プレハブ校舎、体育館もまだなかった。一クラス55人学級、一学年で10クラス以上があたりまえ。(ちなみに現在の状況を確認すると、一学年3クラス、30人学級が普通とのこと。この一年間の出生数は、120~130万人:私たちの頃は250万人もいたのだから)
私の小学校、稲沢西小学校で学校給食が始まったのは、確か4年生(昭和33年)の頃だった。給食当番の生徒が、それぞれ頭に三角頭巾をかぶって配膳係を務め、配り終わるのを待って、先生の号令一過みんなで一斉に、昼食をとった。残さず、というのも躾の内だった。
それでも、好き嫌いのある子は、結構、食べ残した。特に脱脂粉乳の匂いが苦手な子が多かったようだ。私は、生来好き嫌いがないというか、残すのがもったいなくて、なんでも食べた。その点では優等生だった。
メニューは、大体、コッペパンと脱脂粉乳(牛乳の代わり)に
メンチカツにキャベツを添えたもの、或いはナポリタンのスパゲッティー。カレーもよく出た。
下の写真は、(社)日本酪農乳業協会のHPから:
食器はアルマイト製のカップとスプーン。フライの
肉は、今では希少品となってしまった鯨肉の竜田揚げ、
当時は安価な蛋白源としてよく口にしたものだ。