|
[No.957]
Re: 『大正人間召集点呼』
投稿者:カッコウ
投稿日:2009/03/13(Fri) 10:17
[関連記事] |
変蝠林さん。
「ハイッ。大正15年生まれのカッコウです」お元気のようでなにより。
このグループのなかでは最年少の年ですが、それでも82才です。アマチュア
無線の仲間でも会がありますが大分人数が減ってきました。お陰さまで普通
に暮らしています。
カッコウ
[No.956]
Re: 『大正人間召集点呼』
投稿者:善兵衛
投稿日:2009/03/12(Thu) 21:34
[関連記事] |
変蝠林殿 BUPどの
> 善兵衛さんは 名簿に未記載。
半年ごまかして 「ハイッ 善兵衛 都合次第で大正にも昭和にも割り込みます ヲワリ!」
[No.955]
Re: 『大正人間召集点呼』
投稿者:BUP
投稿日:2009/03/12(Thu) 18:25
[関連記事] |
変蝠林大兄殿
陳謝
[No.954]
Re: 『大正人間召集点呼』
投稿者:
投稿日:2009/03/12(Thu) 16:34
[関連記事] |
> 変蝠林大兄殿
> 善兵衛さん、satyanさん、 俺も抜けてます。
BUP殿 早速の申告多謝。
貴殿の場合は 名簿に生年申告無し。
善兵衛さんは 名簿に未記載。
satyanさんは 当方見落とし 失禮御免賜り度。
変蝠林(1917-) 敬礼。
[No.953]
Re: 『大正人間召集点呼』
投稿者:BUP
投稿日:2009/03/12(Thu) 15:59
[関連記事] |
変蝠林大兄殿
善兵衛さん、satyanさん、 俺も抜けてます。
従兵
[No.952]
『大正人間召集点呼』
投稿者:
投稿日:2009/03/12(Thu) 15:25
[関連記事] |
平成二十年七月発行のメロウ倶楽部会員名簿から大正生まれを抽出しましたら
下記の方々が網に掛りました。(順不同)
01、BEEさん
02、けいろくさん
03、KENさん
04、REONOさん
05、MASINOさん
06、MVKさん
07、サッチャンさん
08、tikurinさん
09、ありやさん
10、カッコウさん
11、けいともさん
12、げんかうさん
13、けんすけさん
14、紫竹のさん
15、伸さん
16、スカッパーさん
17、すずこさん
18、大正坊やさん
19、てっちゃん
20、なんがいさん
21、不虻さん
22、変蝠林
23、ホベンさん
24、もくまさん
(註)見落とし御免。
上記の方々に御願です。
当点呼に此の場所で「ハイッ」と応答の上、何分の御挨拶を願い上げます。
当番兵 変蝠林 拝。
[No.951]
Re: 従軍回顧。
投稿者:
投稿日:2009/03/07(Sat) 20:33
[関連記事] |
satyanさん
> 「父が今朝亡くなりました・・・」予想もしない出来事に驚愕と悲しさで言葉もなく家に駆けつけ無言の対面と成って仕舞いました。葬儀の式場で私は涙を堪え、弔辞に続けてブンガワンソロを歌いました。それは彼の赴任地がジャカルタであり、常に口ずさんでいた好きな歌であったからです。・・・之で生存している同期の桜は 遂に2人に成って仕舞いました。
あれっ。そうだったのですか。
お寂しいですね。
「ブンガワンソロ」ーーー昨年86才で亡くなった私のパソコンの生徒さんも、
よく歌っておられました。
やはり、戦地での思い出の歌だとおっしゃっていました。
[No.950]
Re: 従軍回顧。
投稿者:
投稿日:2009/03/07(Sat) 16:23
[関連記事] |
DUPさん・・・私の無線講から日本航空入社まで 文字通り “同期の桜”が昨年久しぶりに会う約束ができ 積もる話を胸に抱き 雪の信州から鳥取に向かいました。
途中姫路に一泊して鳥取に向かう電車に携帯電話が鳴り 応答したところ、息子の声で
「父が今朝亡くなりました・・・」予想もしない出来事に驚愕と悲しさで言葉もなく家に駆けつけ無言の対面と成って仕舞いました。葬儀の式場で私は涙を堪え、弔辞に続けてブンガワンソロを歌いました。それは彼の赴任地がジャカルタであり、常に口ずさんでいた好きな歌であったからです。・・・之で生存している同期の桜は 遂に2人に成って仕舞いました。
[No.949]
Re: はじめまして
投稿者:
投稿日:2009/03/06(Fri) 11:23
[関連記事] |
satyanさん
> 何時も大変お元気そうで結構ですね。軍隊ではモンゴルに行かれたとか・・・私は
> 5年前にモンゴルから研修に来ていた娘さんと東大へ勉強に来ていた女性と二人が一寸した事が縁で招待を受けてフフホトに行き二日間に亘り周辺の各地を案内して貰いましたが 日本人が既に忘れて仕舞っている敬老精神や心からの持て成しを受け、再会を約し、涙ながらの別れをして来ました。大平原の風景とモンゴル人の親切さが忘れられません。
昭和十九年六月十一日静岡歩兵第三十四聯隊に応召。体重三十八キログラム。
三日後には当時としては珍しく新品の完全軍装にて深夜静岡駅迄駆け足乗車。
朝鮮、満州、北支も通過して、六月二十一日に漸く内蒙古のフホホト駅下車。
駐蒙軍の泉第5316部隊に配属。
其の後、山西省大同の独立歩兵第十三聯隊に転属。大同石仏に近い処に勤務。
大隊に帰属後、暗号班として山西の山々を四回に亘り討伐行参加。
米軍杭州湾上陸に備え上海近郊の大倉鎮に駐屯中ソ連満州進攻にて非常呼集。
重武装にて深夜昆山駅まで駆け足。貨車に乗車すると直発車、南京に於いて
昼食中玉音放送の事を耳にしたが終戦にも不拘、其の儘揚子江渡河北上。
途中、数回に亘り八路軍の攻撃を受け都度停車応戦、結果前車が入満せるも
蒋介石の要請にて天津防備のため年末まで完全軍装にて郊外にて軍隊勤務。
昭和二十一年三月十三日米軍LSTにて長崎南風崎に上陸帰国。
静岡駅に下車したら家族全員無事出向えて居たが当方を見分け出来ず。
何しろ三十八キロが六十キロに成ってましたから。
何れ詳細を後報致しませう。
変蝠林(1917-)
[No.948]
Re: 従軍回顧。
投稿者:BUP
投稿日:2009/03/05(Thu) 20:14
[関連記事] |
3年程前、同級生(同年次兵)の1人が病没しました。
残った3名が葬儀に参列しました、葬議場には、静かに ♪ブンガワン・ソロ の曲が流れ居りました。
此の曲が、其処で流れている理由を知っていたのは、吾々3人だけでした。
葬壇の前に一同整列、 「敬礼」って号令を掛けて、挙手の礼を致しました。
その理由を知っているのは、吾々、生き残った3人だけ、ご家族の方々も恐らく知らないと思いました。
藤山一郎さん、本名 増永丈夫 海軍嘱託(少佐待遇)は、豪北、前線慰問の際、御目に掛かったことが御座います。
小生が復員の際、リバティV-040で、レンバン島に寄航の際にも御目に掛かりました。
”youtube”で、懐かしい歌、曲をお楽しみ下さい。
(俺が死んだときは ♪ Terang Bulan で御願い致します)
敬具
| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 | 32 | 33 | 34 | 35 | 36 | 37 | 38 | 39 | 40 | 41 | 42 | 43 | 44 | 45 | 46 | 47 | 48 | 49 | 50 | 51 | 52 | 53 | 54 | 55 | 56 | 57 | 58 | 59 | 60 | 61 | 62 | 63 | 64 | 65 | 66 | 67 | 68 | 69 | 70 | 71 | 72 | 73 | 74 | 75 | 76 | 77 | 78 | 79 | 80 | 81 | 82 | 83 | 84 | 85 | 86 | 87 | 88 | 89 | 90 | 91 | 92 | 93 | 94 | 95 | 96 | 97 | 98 | 99 | |