|
[No.885]
Re: 官立 無線電信講習所
投稿者:
投稿日:2009/01/07(Wed) 19:34
[関連記事] |
BUPさん
> そうですよ、俺は昭和17年、官立第一期生。(授業料 無料)
> 今、押入れから 古い卒業アルバムを引っ張り出して、一部をスキャン、添付しましたが、生き残っているのは・・・ 居ませんねぇ〜・・・。
> (俺、写ってますが・・・分かるかなぁ?)
> 戦後 電通大になってからも、同窓会の名前は”目黒会”です。
> 検索 目黒会 で沢山 出てきます。
わあ、貴重なお写真をありがとうございました。
昔の学習院みたいな制服で格好いいですね。
そして、みなさんハンサムですね。
一番ハンサムなのがBUPさんに違いないですね。
[No.884]
Re: 懐かしき我が真空管たち…。
投稿者:Pan
投稿日:2009/01/07(Wed) 19:00
[関連記事] |
[No.883]
Re: 官立 無線電信講習所
投稿者:BUP
投稿日:2009/01/07(Wed) 17:43
[関連記事] |
善兵衛さん 謹賀新年
> 戦直後にご掲示の写真と同じ服を着ていました。
”チューニック” って言うんです。
[No.882]
Re: 官立 無線電信講習所
投稿者:
投稿日:2009/01/07(Wed) 15:15
[関連記事] URL:http://www1.odn.ne.jp/~aac00450/ |
マーチャン BUPさん
> そうですよ、俺は昭和17年、官立第一期生。(授業料 無料)
一期か二期かわかりませんがぼくの現役時代の同僚にもそこの出身が
いました。
戦直後にご掲示の写真と同じ服を着ていました。その Y,E 氏は60歳
のころ
世を去りました。
[No.881]
官立 無線電信講習所
投稿者:BUP
投稿日:2009/01/07(Wed) 10:24
[関連記事] |
[No.879]
Re: はじめまして
投稿者:
投稿日:2009/01/07(Wed) 08:34
[関連記事] |
BUPさん
> 実は小生儀、目黒出のプロなんですよ。
もしかして「目黒」といいますのは、当時の逓信省の「無線電信講習所」ことでしょうか。
こういう日本の近代化につくした、官庁が設立した各種の講習所のことも、
ぜひ知りたいです。
よろしくお願い申し上げます。
[No.878]
Re: 火事は何処だ、牛込だ
投稿者:変蝠林(1917-)
投稿日:2009/01/07(Wed) 06:44
[関連記事] |
> 子供のころ『火事は何処だ、牛込だ。牛の〇〇〇〇丸焼けだ』というのがありました。>誰から聞いたのかは、よく分かりません。たぶん、兄貴からだと思いますが…。
こう言うのは花の都トウキョウだからこそ。
シゾーカの如き地方都市になると・・・・
火事は何処だスリバンだー、となります。之はジャンジャンジャンの連続。
擂り半ともなると大変、町内の全員が戸外に出ます。
兎に角木造家屋の連なりですから一軒では済みません。
何故か石炭の火の欠片を落として走る消防自動車が有りました。
役にも立たぬ龍吐水まで現れるのを見た事もありました。
半鐘の櫓は数町措きに建ってましたから遠近が先ず判ります。
遠くの半鐘がカーンカーンと成ると皆安心して床に戻ります。
変蝠林(1917-)
[No.876]
火事は何処だ、牛込だ
投稿者:
投稿日:2009/01/04(Sun) 13:38
[関連記事] |
子供のころ『火事は何処だ、牛込だ。牛の〇〇〇〇丸焼けだ』というのがありました。誰から聞いたのかは、よく分かりません。たぶん、兄貴からだと思いますが…。
ことしが丑年だと云うので、何となく思い出しました。(-_-;)
ああいうのは、作者不詳というか、詠み人知らずの口なんでしょうかね。
ところで、こういうのんは、あまり新春の話題として相応しくないのかも知れませんね。もっと他のんを、思い出した方が良かったんでしょうね、やっぱり。
[No.875]
「朕」
投稿者:変蝠林(1917-)
投稿日:2009/01/04(Sun) 05:33
[関連記事] |
チンは中国の上古、貴賎を問わず単に自称であったが
始皇帝以後に皇帝の自称になった由である。
自称は何でも宜しい、国の象徴である「天皇」に依る
教養に係る教条を「勅語」として提示する意義が有る
と思考するが如何であらうか。
象徴に意義を持たせぬ原状に異議を唱え度い者である。
変蝠林(1917-)
[No.874]
Re: 謹賀新年
投稿者:BUP
投稿日:2009/01/02(Fri) 22:03
[関連記事] |
娘夫婦と孫も来宅、夕餉も終り、パソコン部屋に引き篭もり、しばらく横になっているうちに変なことを想い出しました。
先ほど、蟹しゃぶのあと饂飩を食ったけれど、あの時の饂飩(乾麺)は不味かったなぁ〜・・・。
アンボンを離陸して2〜3時間で西ニューギニアの基地に着きます。
離陸後しばらくして、空3号無線電信機のレシーバーより、6210KHZ(KC)の電波で「ヒヒヒ」の信号が入りました、敵機来襲中の知らせです。
しばらく上空待避、やがて敵機(P38)も去り、その基地の滑走路に着陸しました。
すぐ兵隊が誘導してくれて、ジャングルの中に輸送機を隠してくれます。
アンボンで積んでくれた、俺たちが食い散らした弁当箱は機内に放置したままでした。
その日は、日暮れまでに、もう一箇所に飛ばねばならず、急いでました。
士官食堂に案内されて、しばらく休憩となりましたが、そこで、接待の士官が、おずおずと、此処で召し上がって頂けるのはこんなもんで申し訳けありませんが〜と、饂飩を出してくれました。
乾麺を湯掻いた塩味風のものでした。 俺たちは、不味いとも言えず、黙々と食って、御礼を言って、その基地を離陸する為、輸送機に向かいました。
機内では、数人の兵隊が、俺たちの食い散らかした弁当の残飯を、手で摘まんで食べていたのです。
離陸、次の西ニューギニアの基地に向かいました。
機内では、しばらく無言、皆、黙ってました、あの乾麺は食わず遠慮した方が良かったと、皆、思っていたのに違いありません。
数日後、艦隊司令部の在る爪哇島のスラバヤに帰着しました。
中華街に行けば、何でも食えました。
同じ戦地と言っても、地獄と極楽が在ったのです。
もう寝ます、次は沖縄の那覇でご馳走になったお話(どうも俺は食い意地が張っているらしい)
| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 | 32 | 33 | 34 | 35 | 36 | 37 | 38 | 39 | 40 | 41 | 42 | 43 | 44 | 45 | 46 | 47 | 48 | 49 | 50 | 51 | 52 | 53 | 54 | 55 | 56 | 57 | 58 | 59 | 60 | 61 | 62 | 63 | 64 | 65 | 66 | 67 | 68 | 69 | 70 | 71 | 72 | 73 | 74 | 75 | 76 | 77 | 78 | 79 | 80 | 81 | 82 | 83 | 84 | 85 | 86 | 87 | 88 | 89 | 90 | 91 | 92 | 93 | 94 | 95 | 96 | 97 | 98 | 99 | |