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[No.646]
Re: 天から降って来た巻き煙草
投稿者:変蝠林(1917-)
投稿日:2008/06/03(Tue) 05:10
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唐辛子紋次郎さん
> なんでもこんな歌詞だったような。
>
> 「天から降って来た巻き煙草 吸わずにおらりょうか
> こりゃうまい うんぬん」なんか非常に調子のいい唄
> だったような気がします。
聞いた覚えは御座いません。 但し
天津で捕虜になった時、糧秣廠は日本軍の管理下
に在ったので毎日五箱くらい宛が配給されました。
其れを垣外のニイコウが高粱酒に代えて呉れたものだ
から今でもタバコとサケは健康の素になって仕舞いました。
変蝠林(1917-)
[No.645]
Re: 馬賊の唄。
投稿者:
投稿日:2008/06/03(Tue) 04:44
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瀬里恵さん
> その時、いつも荒尾市の幹道を通るのですが、その
> 途中に孫文記念館という建物があって、宮崎滔天が
> 日本に亡命した孫文のために 提供した居館跡だと
> 言われていました。
孫文こそ清を倒し中国を興した祖、天安門の毛沢東
の看板を外し孫文像に代えた時に初めて世界の人々
がCHINAではなくてCHUNGKOUと呼んで呉れるで
せうに。
変蝠林(1917-)
[No.644]
Re: 馬賊の唄。
投稿者:瀬里恵
投稿日:2008/06/02(Mon) 20:13
[関連記事] URL:http://homepage2.nifty.com/Avenue-Serie/ |
変蝠林さん、grueさん、今晩は…。
荒尾市の少し先の玉名郡長洲町という処に、戦時中
海軍の兵曹長だった年上の友人が居て、よく自転車
を漕いで遊びに行ったものです。
その時、いつも荒尾市の幹道を通るのですが、その
途中に孫文記念館という建物があって、宮崎滔天が
日本に亡命した孫文のために 提供した居館跡だと
言われていました。
あれから40余年が過ぎましたが 多分今もあると
思います 。
瀬里恵
[No.643]
Re: 想起す226事変。
投稿者:
投稿日:2008/06/02(Mon) 19:26
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変蝠林さん
瀬里恵さん
「想起す226事変」の文章はコピーして熟読させて頂きました。当時小学校4年生頃で先生から詳しい話は聞かされずにおりましたので、恥ずかし乍ら真実を知る事も無くただ
青年将校の反乱・・・云々という位の知識しか有りませんでした。
資料を幾度も読み返し又「昭和維新の歌」を読むほどに、何か現代の世相に似通っている様に思えて仕方有りませんし、また我が国の将来が心配で成りません。
[No.642]
天から降って来た巻き煙草
投稿者:
投稿日:2008/06/02(Mon) 10:43
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どなたかご存知ありませんか?むかし古いレコードの裏面に「天から降って来た巻き煙草」といったような題の歌があり、何度か聴いたような記憶があります。たぶん昭和のはじめ頃に流行ったのじゃないかと思いますが…。
なんでもこんな歌詞だったような。
「天から降って来た巻き煙草 吸わずにおらりょうか こりゃうまい うんぬん」なんか非常に調子のいい唄だったような気がします。
[No.641]
Re: 馬賊の唄。
投稿者:変蝠林(1917-)
投稿日:2008/06/01(Sun) 00:50
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grueさん、
> http://kousei.s40.xrea.com/xoops/modules/newbb/viewtopic.php?viewmode=thread&topic_id=580&forum=13&post_id=2354#2354
之は正に「メロウ伝承館」に貫禄を与えて呉れる絶章です。
有難う御座いました。
変蝠林(1917-)
[No.640]
Re: 馬賊の唄。
投稿者:grue
投稿日:2008/05/31(Sat) 16:25
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変蝠林さん、瀬里恵さん、
> 「宮崎滔天」が隣町とは流石九州、良い環境で育てられましたね。
> 大正拾弐/参年頃の環境は正に此の雰囲気でした。
「メロウ伝承館」に馬賊の唄を載せました。当時の若い日本人に与えた
影響を垣間見ることができます。どこか鼓舞するものがあったんでしょ
うね。
http://kousei.s40.xrea.com/xoops/modules/newbb/viewtopic.php?viewmode=thread&topic_id=580&forum=13&post_id=2354#2354
[No.639]
Re: 馬賊の唄。
投稿者:変蝠林(1917-)
投稿日:2008/05/30(Fri) 18:44
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瀬里恵さん
有難う
> http://8.health-life.net/~susa26/natumero/taisyo/bazokunouta.html
これを探して居たのでした。
「宮崎滔天」が隣町とは流石九州、良い環境で育てられましたね。
大正拾弐/参年頃の環境は正に此の雰囲気でした。
少年倶楽部の敵中横断参百里が仮想に思えぬ時代でした。
変蝠林(1917-)
[No.638]
喇叭節
投稿者:
投稿日:2008/05/30(Fri) 15:19
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♪今鳴る喇叭は 八時半
あれに遅れりゃ 重営倉
またの逢う日が ないじゃなし
離せ軍刀に サビがつく
こりゃまた 男尊女卑
昨今の放送禁止用語の比ではない(^^)
[No.637]
Re: 馬賊の唄。
投稿者:瀬里恵
投稿日:2008/05/30(Fri) 14:48
[関連記事] URL:http://homepage2.nifty.com/Avenue-Serie/ |
変蝠林さん…。
瀬里恵が大牟田工業学校のころ、馬賊の歌のパロディが流行っていました。
隣市の荒尾に「宮崎滔天」と言う支那浪人がいて 馬賊の歌を作曲したと
云われています。
http://8.health-life.net/~susa26/natumero/taisyo/bazokunouta.html
♪♪大工を出てから十余年 今じゃ満州の大馬賊
○○○○○○から 繰り出す手下は五万人♪♪
♪♪大工ょ出てから十余年 今じゃ亀ン谷の藪医者で
○○○○○○○○ 殺した患者が五万人♪♪
何分にも60年以上も前の事で記憶が曖昧です。
http://fine.ap.teacup.com/serie-brog/
瀬里恵
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