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[No.389]
Re: 両手ジャッキ
投稿者:瀬里恵
投稿日:2008/02/21(Thu) 16:57
[関連記事] URL:http://homepage2.nifty.com/Avenue-Serie/ |
季寿さん 皆さん…。
> 手入れは、刷毛みたいなもので掃除していたように思いますが…
> 刃を換えたりはしなくて良かったのでしょうか?
刃が上下二枚重ねになっていて 下が固定刃、上が左右に動きます。
二枚の刃の中央にネジがあって、ネジを緩めると二枚の刃が分解でき
それぞれ精巧な仕上砥石で研ぐようになっています。
砥石が厳密に平面でないと失敗する。技術を要しましたネ。
親父が研いでバリカンをオシャカにした事があります。(笑)
http://fine.ap.teacup.com/serie-brog/
瀬里恵
[No.388]
南方戦線の写真。
投稿者:変蝠林(1917-)
投稿日:2008/02/21(Thu) 15:08
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BUP さん
壮大なホームペイジ有り難く拝見させて戴きました。
折角駐蒙軍に派遣され乍ら補充兵の悲しさ到着早々に
腕時計まで古年兵に召し上げられ、カメラ等も無くて
討伐行に見た珍しい山西省の山々の景色も総てが
記憶の中のみ。
何方か戦地の情景をアップして戴ければ有難いのですが・・・・・
変蝠林(1917-)
[No.387]
話を発展させて
投稿者:
投稿日:2008/02/21(Thu) 14:43
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> 想い出すまま書かせて頂きました、表題より逸れてしまい失礼を致しました。
いえいえ この部屋は 一つの話題をきっかけに
色々なお話を聞かせていただける場所だと思っております
どうか皆さんも そのようなスタンスで(適当な日本語が出て来ません)
お話の輪を広げていっていただきたいと思います
昭和二桁以降の我々のためにも・・・
[No.385]
Re: SPレコード
投稿者:BUP
投稿日:2008/02/21(Thu) 14:30
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皆様 コンニチハ
”SPレコード”のお話で盛り上がっているところにお邪魔させて頂きます。
昭和17〜20年、南西方面艦隊航空輸送部と言う部隊での路線で爪哇島のスラバヤと台北間の航空路が御座いました。
スラバヤの艦隊本部付近に搭乗員宿舎が在り、中ほどの一軒が食堂、集会所になっており、其処に電蓄が在り、SPレコードが何枚か在りましたが、台北に飛んだやつが市内のレコード屋さんから買って来て補充することになって居りました。
実は、其のレコード屋さんに可愛い娘さんが居たのも、理由の一つかも。
昭和19年頃、ベートーベン 第5番 運命 の数枚(7〜8枚くらい)一組を10円くらい(忘れた)で買い求め、機内(零式輸送機ーDC3型の日本製)客席の上の棚に置いて、スラバヤに無事、帰り着き、宿舎に持ち帰って梱包を開けたら、熱でレコードが変形、ペコペコに湾曲しておりました。(当時は空冷設備はありませんでした)
日陰の涼しいタイルの床に並べて、しばらく放置して置きましたら、見た目はほぼ平らになったようでした。
一応、音は出ました、電蓄の周りに何人か集まり、真剣な顔つきで、ベートーベンの「運命」を聴きましたが、其のうちの何人かが、南海の空に消えました。(その時、一緒に擦れた”運命”を聴いたやつらの顔を想い出してみたら、今、生き残って居るのは、俺1人)
当時の航路図は此処 ↓でした。
http://homepage2.nifty.com/bup/bup-5.htm
想い出すまま書かせて頂きました、表題より逸れてしまい失礼を致しました。
[No.384]
Re: SPレコード
投稿者:
投稿日:2008/02/21(Thu) 10:04
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> あのラッパは何時消えたのでせう。
ラッパは持ち扱いに不便で その内 下の箱の中に収められたようですね(内蔵型)
電気式でなければ大きい音が出ないかと言えばさにあらず
巨大なラッパをつけた蓄音機は 100人くらい踊れるホールででも
充分音が広がり届いたようです
[No.383]
Re: SPレコード
投稿者:変蝠林(1917-)
投稿日:2008/02/20(Wed) 20:35
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季寿(きよし)さん こんばんは。
> レコードの内容は、浪曲や俗曲・端唄・民謡などで、流行歌は東海林太郎の
> 「旅笠道中」があったことをお覚えています。
> 正月になると父が蓄音機を出してきてくれ、浪曲などには興味ありませんから
> 東海林太郎の歌などを聴いていました
詰らぬ事を思い出しました。
昔(昭和五年)小学校の卒業旅行は御伊勢参りでした(静岡市だけかな)
帰りに名古屋に寄って松阪屋百貨店にも連れて行って貰いました。
其処で無けなしの小遺いからレコードを買って帰ったんです。
曲名は忘れましたが、ひねた奴だなと笑われた覚え有りです。
あの頃の蓄音機は大きなラッパでゼンマイ仕掛け、次々に螺子を巻かぬと
速度が落ちて変な音になって仕舞う。 あのラッパは何時消えたのでせう。
変蝠林(1917-)
[No.382]
Re: SPレコード
投稿者:季寿(きよし)
投稿日:2008/02/20(Wed) 19:59
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Panさん こんばんは。
実家にもSPレコードがありました
子供の頃の記憶ですが、
レコードを入れるケース(トランク?)が二つあり、一ケースに50枚くらい
入ってたと思います
レコードの内容は、浪曲や俗曲・端唄・民謡などで、流行歌は東海林太郎の
「旅笠道中」があったことをお覚えています。
正月になると父が蓄音機を出してきてくれ、浪曲などには興味ありませんから
東海林太郎の歌などを聴いていました
これらのレコードは、父(明治38年生)が若い頃に買ったものだと思います
蓄音機やレコードは家を新築する時に、処分したと思われ、今思うと
残念なことです
季寿
[No.381]
Re: 両手ジャッキ
投稿者:季寿(きよし)
投稿日:2008/02/20(Wed) 19:31
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白兎山人さん みなさん
> http://tsubuyaki.amasaki.jp/?eid=410800
ああ、これです(^_^)
バリカン、懐かしいですね
手入れは、刷毛みたいなもので掃除していたように思いますが…
刃を換えたりはしなくて良かったのでしょうか?
季寿
[No.380]
Re: 両手ジャッキ
投稿者:Pan
投稿日:2008/02/20(Wed) 00:44
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季寿さん、こんばんは。
> 両手ジャッキは見たことはありません
白兎山人さんも探し出して下さいました。(^-^)
> 私も、子供の頃(中学を卒業するまで)父に、バリカンで刈ってもらっていました。
> 父が忙しい時には、母にも刈ってもらったことがあり、母は父に比べると、腕前の
> 方はいまひとつで、虎刈りになることもありましたが、別に気にもしませんでした。
周囲の子供達も虎刈りが多かったですね。 数日経つと判らなくなります。(^-^)
散髪した翌日は、学校へ行った時「お初」と云ってみんなに頭をペタンと叩かれませんでしたか?
> 父は、「バリカン」とはいわず「ジャッキ」といっていた謎が60年経った今、
> 解けました。
> バリカンの以前はジャッキだったのですね。
祖父も後までジャッキと云っていました。 季寿さんのお父さんも若い頃はきっと両手ジャッキを使っていらっしゃったに違いありません。
***** Pan *****
[No.379]
Re: 両手ジャッキ
投稿者:Pan
投稿日:2008/02/20(Wed) 00:29
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白兎山人さん、みなさん、こんばんは。
> こんなのを見つけました
>
> http://tsubuyaki.amasaki.jp/?eid=410800
アハハ、これです。 バリカンで検索するとワンサと出てくるのに、ジャッキは別の。ジャッキばかりですね。
馬の毛を刈る機械だったのも面白いです。
ヒツジの毛を刈るのは今は電気バリカンですが、昔の絵を見ると鋏で刈っていますね。
***** Pan *****
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