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[No.358]
Re: 風呂事情
投稿者:季寿(きよし)
投稿日:2008/02/15(Fri) 16:54
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Panさん、みなさん こんにちは
> > 調べて見ると 私の言わんとした風呂は
> > 鉄砲風呂 と呼ばれるもののようです
> > 木製桶の浴槽に鋳鉄製の釜が外付けされているもの
これと同じようだったと思います
釜に触ると熱いので、注意して浸かりました
親が共働きだったので、風呂焚きもよくしました
これ以前、家に風呂がないときは、銭湯へ行きましたが、いつ行っても
多くの人で込んでいました
当時は(終戦前後)まだ、内風呂のある家は、少なかったのでしょうね
銭湯といえば、時々、背中一面に刺青をした人を見ましたが、子供心に
怖かったですね
季寿
[No.357]
Re: ポン菓子
投稿者:季寿(きよし)
投稿日:2008/02/15(Fri) 16:42
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Panさん みなさん こんにちは
> >米は知っていますが 栗は知りませんでした
私も知りませんでした
神社の秋祭りなどで露天商が、ポン菓子の店を出しています
私らの子供時分からありましたから、廃ることなく続いている
のですね
季寿
[No.356]
Re: ポン菓子
投稿者:Pan
投稿日:2008/02/15(Fri) 14:53
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白兎山人さん こんにちは
>う〜む やはり事故は時々あったのでしょうね
>あんなもの破裂とは 考えただけでゾッとします
>
>今のように取材・報道が隅々まで届いていなかっただろうし・・・
あのサービスエリアは私も時々通ります。
爆発したのは1年半前の事ですが、知りませんでした。
客が被害に遭っていたらもっと大きく取り上げたでしょうね。
>米は知っていますが 栗は知りませんでした
最近祭りなどの屋台に出ているのは殆ど栗です。米は見掛けませんね。
歩きながら食べるには栗の方が食べやすいし、業者にとっても付加価値
も高いのでしょう。(^-^)
メロウの全国オフの時にでも呼びますか? (^o^)
NO.304 は陶芸で有名な立杭の陶芸祭に行ったときの写真で、丹波栗で
有名な場所ですが、作業をしている人にこの栗は中国産かと尋ねたらそう
だと笑っていました。(^o^)
名前はポン栗ですがポンと云わせませんから今流行の詐称ですね。(*_*)
***** Pan *****
[No.355]
Re: めんこ
投稿者:Pan
投稿日:2008/02/15(Fri) 14:51
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マーチャン こんにちは。
忘れた頃に出てきます。(^-^)
> 男の子は、よく「めんこ」で遊んでいました。
> あれは、どんな遊びだったのでしょうか。
「めんこ」と聞くだけで泣きそうになります。
幼稚園にも行く前でしたが、近所の子供達が遊んでいたので母親が10枚
ほど買ってくれました。
大喜びでガキ大将達などに混じってやったら、数分間で全部取られました。
無理もないです。
泣かずに帰りましたが母には判ったのでしょうね。それ以来買って欲しい
と云ったことがありません。
泥水に擦りつけたり、脂を塗ったり、強くする魔法もあったようで、それ
ぞれに信仰心をもって頑張っていましたよ。(^-^)
普通のは直径4センチ程だったと思いますが、大メンと云って7センチ程
の大型もありました。 強い子供に掛かると小さいメンコで簡単に裏返され
ていました。
***** Pan *****
[No.354]
Re: 昭和初期のスキー
投稿者:Pan
投稿日:2008/02/15(Fri) 14:50
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不虻さん、マーチャン、みなさん こんにちは。
スキーと聞くと浮かんでくるのは映画「銀嶺セレナーデ」です。
まさに別世界の美しさで、あのすばらしさには嫉妬しました。
>> 選手の物は別ですが、当時の一般のスキーは、本体がイタヤや楢、樫などの木製、最上級は北米のヒッコリー製でした。靴は私など小学生はゴム長靴、そして当時ビンディング(正確にはビンドゥンクか)と呼んでいた締具は、靴の爪先と足首をベルトで締めてスキーと靴を固定させる方式。杖は竹に丸い輪の付いた杖2本(父の頃は1本杖だったそうですが、当時は2本杖になっていました)。
>
> 明治26年生まれの父も、会社の同僚とヘタなスキーを楽しんでいたようです。
私が初めてスキーに行った時は、父のお古を使いました。
板はエッジなどは無く、幅も狭くて、先端の湾曲部が長かったように思います。
自分で鉄板を細く切って自家製のエッジを付けていた人もありましたね。
昭和27年です。
靴は革ですが、十年以上も使っていなかったので、皮はバリバリになっていて
割れた箇所もありました。
分厚くて長い毛糸の靴下も残っていましたからそのまま使いました。
締め具も勿論皮で、踵は板から浮くようになっていましたね。
ストックは竹製で、竹の輪が皮でつないでありました。不虻さんの仰っている
のと同じです。
足もとがグラグラで、スキーを履いて少し登るのも大変だし、滑り降りるのは
もっと大変で、絶対に曲がれませんでしたが、スキーとはそんな物かと思ってい
ました。
近い場所で日帰りでしたが、帰ってから2日間は熱を出して休み、1週間以上
も片側の尻が紫色になっていました。
数年以上も後に貸しスキーを使ったとき、初めて私の使った道具が如何に無茶
苦茶なボロボロであったかを知りました。
30歳を越してから初めて自前の道具を買いましたが、上達することもなく今
に至っています。
しかし、スキーのお陰で毎年の冬はチェーンを巻いて雪の峠道を越え、戸隠で
過ごすことを覚えました。
何時の頃からか、スキー場はファッションを競うようになったので興味を失い、
自分はさっぱり上達しないこともあって、むしろ雪道を車で突破することの方が
目的になりました。(^^;
> 多分、この写真はアフタースキーに、茶店で「鍋物」など突きながらいっぱいつもりでやってきたところだと思います。
スキーの後で、熱い善哉や甘酒を飲むときの美味しさは格別ですね。(^o^)
***** Pan *****
[No.353]
鞍馬天狗
投稿者:Pan
投稿日:2008/02/15(Fri) 14:48
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こんにちは
いまテレビで『鞍馬天狗』をやっていますね。 昨日見ましたから木曜日の午後
8時からだったと思います。ご覧になっていますか? (^-^)
あの頭巾の姿が何とも格好が良いと言うのか、滑稽と云うのか、気に入っていま
す。特に東寺の五重の塔の屋根に馬に乗って立つシルエットが良いですね。(^-^)
小学5年の頃、学校の運動場に隣接して宿泊研修寮が建ちました。「洗心寮」と
云いましたが、広い日本間を中心にしてなかなか良い建物でした。
そこでクラス単位の一泊合宿がありました。
夕食後の自由時間に、暗い運動場に繰り出して浴衣の黒い帯を頭に巻き、自分が
鞍馬天狗になった気で奇声を上げて走り回りました。
全員が鞍馬天狗ですから云うこと無しです。(^-^)
何時の世にもスーパーマンが求められるようです。
***** Pan *****
[No.352]
Re: ポン菓子
投稿者:
投稿日:2008/02/15(Fri) 02:12
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Pan さん こんばんは
う〜む やはり事故は時々あったのでしょうね
あんなもの破裂とは 考えただけでゾッとします
今のように取材・報道が隅々まで届いていなかっただろうし・・・
米は知っていますが 栗は知りませんでした
[No.351]
Re: 風呂事情
投稿者:変蝠林(1917-)
投稿日:2008/02/15(Fri) 01:36
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不虻さん
> 昭和26年、やっと我が家を建築したとき、最も嬉しかったのは我が家に
風呂を作ったことでした。
> 井戸水を薪で湧かしましたが、近所の人も喜んで入りに来ました。
温泉旅館の御曹子が銭湯怖いとは想外ですね。 私の場合は結婚して
先輩に借家を譲って貰った昭和十七年から、台所裏より拾数歩の銭湯
通いが始まった次第です。
神戸六甲道駅東方の踏み切りを渡った柳と言う処の戸建長屋でした。
応召して内蒙古の兵営では、新兵さん入湯は一番最後、温かい泥の海
でした。
暗号兵は四度の討伐行に全部従軍、一回半月程は当然お風呂どころではない。
凱旋して静岡に着いたら、焼野原の予想に反し郊外の田圃の中の二階長屋に借家が待ってました。 先ずは風呂と入らされたのが懐かしのドラム缶風呂。注意されたが出たら背中にタールが。
名古屋転勤、合宿所入り直後に県営住宅に申込んだら見事当選し、御器所に建った二階四戸建て数棟の団地?から又銭湯通いが。
所がトイレは水洗、一案して乙仲にドラム半裁を頼んだら即入手、台所の瓦斯湯沸器からゴム管を伸ばして良い湯だなが続きました。
後日談は何れ又。 ところで石鹸、シャボンって言ってませんでした?
変蝠林(1917-)
[No.350]
Re: 風呂事情
投稿者:Pan
投稿日:2008/02/14(Thu) 23:37
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白兎山人さん、みなさん こんばんは
> 調べて見ると 私の言わんとした風呂は
> 鉄砲風呂 と呼ばれるもののようです
> 木製桶の浴槽に鋳鉄製の釜が外付けされているもの
鉄砲風呂で思い出しました。 楕円形の木桶でした。
釜はおけの内側に付いていましたよ。 また別の名前の風呂かな?
内側に釜があるため火傷しないように板の仕切りが付いていました。
燃料は石炭を焚いていました。 石炭に火が燃え移るまでが大仕事で、新聞紙から始めて細く割った蒲鉾の板などに火を移し、良い頃を見計らって石炭を入れますが、失敗すると始めからやり直しです。
冬の寒い時に野外の焚き口で震えながら焚いたものです。 追い炊きは板切れだけで済ませましたが、市内では入手が面倒で、ミカン箱やリンゴ箱を大切に残しました。
***** Pan *****
[No.349]
Re: 風呂事情
投稿者:
投稿日:2008/02/14(Thu) 23:32
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> 銭湯と云うものに行った事が無かったので当初怖かった思い出が。
温泉場育ちの子供は、毎朝起きると服を抱えて温泉風呂場へ駆け込み、温泉に浸かってから着替えていました。
昭和7年、長野の中学へ入り、郷里を離れて、女学校へ行っていた姉と一緒に下宿しました。その家には勿論風呂はなく、銭湯へ行かねばならなかったのですが、それまでは家の温泉にしか入ったことのないので、銭湯が怖くてどうしても行けませんでした。やむなく姉が見かねてその家の台所の一隅を借りて大きな盥をおいて行水させてくれました。
慣れるに従い銭湯が好きになりましたが、当時は石鹸が高価品で、先ず「垢すり」という20cm四方くらいの布を持っていき、先ずそれで身体中を擦って垢を落とし、その後で石鹸を手拭いに軽く着けて身体を洗いました。
昭和26年、やっと我が家を建築したとき、最も嬉しかったのは我が家に風呂を作ったことでした。井戸水を薪で湧かしましたが、近所の人も喜んで入りに来ました。
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