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[No.327]
Re: 一文菓子屋
投稿者:BUP
投稿日:2008/02/07(Thu) 18:55
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コンバンハ
> 或る時からメクリと言うのが現れた。
> 当時の投機心が今は宝籤に残って無駄遣いが・・・・
ご同様、未だに「ロト6」を買い続けております。
あんこ玉の中に何か入っていると、当りで、もう一つと言うのが御座いまして、当たったから、もう一つ、もう一つって、食い続けたら駄菓子屋のばあさんに追い出された記憶が。
> 来客とか正月には拾銭白銅貨が、偶に五拾銭銀貨に飛び上った思い出も。
穴の空いてる五銭白銅貨は、時々貰った記憶が残ってますが、五拾銭はお正月くらいかなぁ〜。
金曜日の夜は近所の梅屋敷の縁日で夜店が出て居りましたが、兄弟妹、各自五銭づつ貰いましたが、五銭では買えるものが少なく、二人で組んで拾銭にして、玩具などを買った記憶も御座います。(昭和拾年頃)
[No.326]
一文菓子屋
投稿者:変蝠林(1917-)
投稿日:2008/02/07(Thu) 17:22
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大正十年代の子供の御小遣いは大体一日一銭でした。
其れを持って街角の一文菓子屋に通いました。
一銭銅貨は結構存在感がありましたが偶に未だ半銭とか五厘銅貨とかも
見られました。
一銭で買えるものは三角に切った蒟蒻を竹串に刺したおでんとか小竹に
流し込んだ水羊羹、之は底に錐で穴を開けて吸い出しました。 其の他
に所謂一文菓子と言う飴玉とか圧し菓子などもあったような。
ラムネは一銭では買えなかったと思う。
或る時からメクリと言うのが現れた。
ぶら提げた紙に貼った小袋を一銭で買って開くと高価な物が当たるもの。
当時の投機心が今は宝籤に残って無駄遣いが・・・・
来客とか正月には拾銭白銅貨が、偶に五拾銭銀貨に飛び上った思い出も。
みなさんの想い出は・・・・・・??
変蝠林(1917-)
[No.325]
Re: めんこ
投稿者:瀬里恵
投稿日:2008/02/07(Thu) 16:24
[関連記事] URL:http://homepage2.nifty.com/Avenue-Serie/ |
マーチャンさん、皆さん…。
> 男の子は、よく「めんこ」で遊んでいました。
> あれは、どんな遊びだったのでしょうか。
瀬里恵の郷里・大牟田では「パチ」と呼んでいました。
遊び方は、5枚出し、とか10枚出しとか競技者が話し合って
同数の「めんこ」を出し合い、それを纏めて積み重ね、裏返し
にして地面に積み重ねます。
それを競技者が順番に「親めんこ」を積み重ねためんこの
側面に叩きつけ、風圧でひっくり返すのです。
ひっくり返っためんこは ひっくり返した競技者の所有物となり
ます。ただしコレにもルールがありまして、ひっくり返しためんこが、
他のめんこに接触していると所有権は得られません。
次の競技者が チャンスとばかり 親めんこで引き離すと、その
競技者の所有になるのです。
上手な子は上着のボタンを外しておいて 親めんこを叩きつけ
ると同時に 裾で風を送るというズルイ事をする者もいましたが、
それはテクニックの一つとして容認されていました。
親めんこは、真新しい固い紙質の避けて、使い古して柔らかく
なった紙質の物を、大事に奥の手として 使っていたように思い
ます。
瀬里恵 http://fine.ap.teacup.com/serie-brog/
[No.324]
Re: めんこ
投稿者:
投稿日:2008/02/07(Thu) 11:15
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> > めんこは関西ではベッタンといっていましたね。
> こちら(福井・小浜)では「ぺっチン」といっていました。
北九州や山口県では「パッチン」です
地面に叩きつけた時 よく風が出るように
少し上向けに湾曲させていました
丸型のものも見たことはありますが 主流はカード型でした
10枚 20枚 まとまったものを売っていて
鋏で切り離して使いました
ビー玉 と言う言葉は 後になって知りました
私が子供のころは ラムネ でした
パッチンよりも 遊び方にバラエティがあったようです
[No.323]
Re: 初午の祭
投稿者:マーチャン
投稿日:2008/02/07(Thu) 07:43
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伸 さん
> 皆さんの街には、子供の頃このような行事はありませんでしたか、そ
> の頃の思い出と言うと、お稲荷さんのこの行事が、私の胸の中でおお
> きなウエイトを占めています。
兵庫県北部の母の里の近くでも「初午」という行事はありました。
なぜ、午の日に「お狐さん」のお祭りをするのか不思議に思っていました。
私は「お稲荷さん」というと京都の伏見稲荷を思うのですが、大阪梅田の「初午」はずいぶんにぎやかだったのですね。
[No.322]
Re: めんこ
投稿者:季寿(きよし)
投稿日:2008/02/06(Wed) 23:06
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伸さん、みなさん こんにちは。
> めんこは関西ではベッタンといっていましたね。
こちら(福井・小浜)では「ぺっチン」といっていました。
同じ福井県でも小浜の方は、関西圏ですからね。
> この遊びはその名の通りで、地べたに置いたベッタンの際に相手が
> ベッタンを勢いよく叩きつけて、相手のベッタンをひっくり返すの
> でえすが、うまくいってひっくり返れば、それを分取るという遊び
> で、複数のものが参加して遊べる競技でした。
遊び方も、全く同じです。
「ペッチン」には、丸い形をしたのや四角い形をしたのもありました。
余談ですが、めんこの他で、よく遊んだのに「ビー玉」がありました。
[No.321]
初午の祭
投稿者:
投稿日:2008/02/06(Wed) 20:09
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大正の部屋の皆さん、こんにちは。
みなさんの処では、初午のお祭りはしませんでしたか、私は大阪梅田
駅の近くで子供の頃を過ごしましたが、毎年初午の日には町内にある
お稲荷さんで、初午の祭りがあり、年中行事としては、正月の次に来
るので、寒いさなかですが、子供心に楽しみの一つでした。
その日は学校が引けてからお稲荷さんの祠へ行くと、「正一位○○大
明神」と書かれた大きな幟が何本も風に靡いていて、小さな山車に乗
せた太鼓の音が、町内に響きわたっています。
町内の人々がお酒や菓子や果物などをお供えし、後で分けてもらえる
のも楽しみの一つでした。
夜になると小さな山車を子供達が引いて、町内をくまなく回ります。
そして口々に「お稲荷さんの言いつけで、ローソク一本、センギョ、
センギョ」と唱えます。そうすると気の利いた家の戸が開いて、菓子
を手にした人がでてきて、施行してくてます。
センギョ、センギョは「施行、施行」が訛ってできた言葉なのでしょ
う。子供達は、この日ばかりは町内を無心して歩くわけですが、大人
達はいやな顔もせず、無心に応じてくれたものです。
皆さんの街には、子供の頃このような行事はありませんでしたか、そ
の頃の思い出と言うと、お稲荷さんのこの行事が、私の胸の中でおお
きなウエイトを占めています。
[No.320]
Re: めんこ
投稿者:
投稿日:2008/02/06(Wed) 20:00
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マーチャン、こんにちは。
めんこは関西ではベッタンといっていましたね。
遊び方の主流は、もう其の名称も忘れてしいましたが、「ひくり
えしん」と言っていたような気もしますが、間違っているかも知れ
まっせん。
この遊びはその名の通りで、地べたに置いたベッタンの際に相手が
ベッタンを勢いよく叩きつけて、相手のベッタンをひっくり返すの
でえすが、うまくいってひっくり返れば、それを分取るという遊び
で、複数のものが参加して遊べる競技でした。
他にも色んな遊び方がありましたが、忘れましたね。そうそうベッ
タンに描いてある絵や、数字を使ってのあそびもありました。
[No.319]
Re: めんこ
投稿者:BUP
投稿日:2008/02/06(Wed) 09:17
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おはようございます
こう書いては、みもふたもないけれど
↓
http://www.omocha-album.com/okunai/menko/
m(__)m
[No.318]
めんこ
投稿者:マーチャン
投稿日:2008/02/06(Wed) 07:50
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男の子は、よく「めんこ」で遊んでいました。
あれは、どんな遊びだったのでしょうか。
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