画像サイズ: 488×350 (46kB) | そうなれば、コースの変更で対応
そうはさせない。こちらだって、そう甘くはない。そこで、急遽コースを変更、西ドイツのフランクフルトから入って列車でベブラを経て東ドイツに入り、アイゼナッハ、エルフルト、ワイマール、ドレスデン、ライブツィヒ、ポツダム、東ベルリンを経て西ベルリンヘ、ここから空路フランクフルト経由帰国することにした。こうしてみるとこれはこれでなかなかおもしろそうなコースである。問題は「西ベルリンへ乗り入れている飛行機」である。東西冷戦時代には、西ベルリンの空港を使用できたのは、イギリス、アメリカ合衆国、フランスの3ケ国の航空会社が運航する国際線のみ。ルフトハンザも、アエロフロートも飛ばせてもらえなかった。そうなると、こちらも帰路も列車に頼らざるをえない。 冷戦とは、かくもややこしいものなのである。 まあ、それはそれとして、エアーチケットとホテルの予約をした。なお、ホテルはいろいろな経験ができるように、超デラックス級からエコノミークラスまでとりまぜて予約してみた。
長すぎた前奏曲
申し込み手続きをしたのは出発予定日の一か月半前の三月十八日であった。ところが、ひと月たっても、さらに三十五日たってもなんの音沙汰もない。 東ドイツ大使館のビザの受け付けは毎週火曜と木曜、受け付けて一週間後に交付される。しかもほどなくゴールデン・ウィークに入る。いささかあせった。旅行会社のYさんも心配してあちこち照会してくれた。一方、アエロフロートのほうも帰りの便がとれない。なんとも長くスリルに満ちた前奏曲であった。 ところが、出発予定日を5日後にひかえた四月二十八日、突然、アエロフロートから予約オーケーの返事がきた。しかも、東ベルリン経由にてもディスカウントにて苦しからずとのご託宣があったので東ベルリンからまっすぐ帰国できることになりすべては解決した。追って、ホテルの予約も完了との通知もきた。態度激変である。
(写真) 東ドイツの領土の周囲は、すべて立ち入り禁止です。 Grenzgebiet 国境地帯 |