画像サイズ: 586×418 (22kB) | とびこんできた不協和音
しかし、喜んでいる場合ではなかったのである。4月26日、未明に起こった「チェルノブイリ原発大事故」は、史上最悪の原発事故であった。(ただし、ソ連では、組織の末端から書記長へ上がってくる情報は「大した事故ではない」というものばかりだったようだ。ありがち!)最初はいつもの通り「そんな事実はない。西側諸国による悪質なデマである」で片付けようとしていたが、すぐに真相がわかり、世界中のメディアが大きく取り上げるようになっていた。(最初に気がついたのはノルウエーのようであった)。 こうなりゃ、ロシア・東欧方面へ旅行する人はガタ減り。フライトもホテルも予約がはいらず、キャンセルの依頼ばかり。当時の新聞を読んでいるとソ連や東欧はまるで永遠に人か住めないような話だったから。ふたりの兄も心配してかわるがわる電話してきて「トマトはよく洗ってたべろ、牛乳はポーランド製かどうかよくみてから飲め、雨が降ったらすぐ傘をさせ」などと忠告してくれた。 しかし、冷静に考えてみればモスクワもベルリンもチェルノブイリから800km以上離れている。このあたりを5、6日うろうろしただけで健康に影響がでるのならユーラシア大陸は病人だらけになるはずである。なんとなくばかげているので気にせずにでかけることにした。
写真は当時のイリューシン |