画像サイズ: 506×350 (32kB) | コンパートメントのなかで
エンジニアさんたちと一緒だったのでとても助かった。 まず、東ドイツの老夫婦の通訳をしてくれたこと、それから、旅行者ではなかなかわからない東ドイツ事情、とくに日本人が知りたいと思うようなことをいろいろきかせてくれたこと、例えこの国の生活を楽しんでいない彼らの偏見がまじっていたにしてもやっぱりナマの生活者の実感は貴重である。以下の記録のなかで出てくるこの国の実情の多くのなかにはこのとききいたこともすくなくない。 まず、老夫婦のことである。東ドイツでは男は六十五才、女は六十才になると西側への旅行が認められる。おそらくこの老夫婦もそのくちであろう。西へ必死で出たがるのは主として中年で老人連中は西に遊びにいってもまず、もどってくる。万一、もどってこなくても国家にとっての損失はない。働かないで年金をもらっている彼らは国家にとっての、いわば扶養家族なのだから。
ただし、この国の外国為替管理は厳しいので西のマルクに替えられるのは一日わずか二千円程度とのこと。したがって万事物価の高い西では民宿に泊まることもままならない。やっぱり西に親戚でもなければ出掛けられないというのが実情のようだ。 この老夫婦はデュッセルドルフヘいった帰りとのこと。おじいさんは紙袋からウイスキーのビンをとりだしてはチビリチビリと飲む。そしてビンを光線に透かして「ああ、もうこんなに減っちゃった」というように笑っておばあさんのほうをみる。 おばあさんは袋からバナナをとりだしておじいさんと半分ずつ食べる。そして残りをかぞえる。(5つ残っていた)。コメコン経済圏ではバナナの生産地は、キューバくらい。 街に出回るのはせいぜいクリスマスとメーデーぐらいとのこと。すなわちバナナは貴重品なのである。そのくせ、西ではバナナは至って安い。だから西へ行った人はよくおみやげにバナナを買ってくるのだそうだ。 おひとついかがですかとすすめてくれたがこれをきいたあとではとても受け取れない。「おなかが一杯なので」と断った。(なお、東西分離前を知っている年寄りとは違い、多くの子どもたちはバナナを知らない。たまに眼にしても気味悪がって食べなかったという話もある) また、おばあさんは網棚のカバンからお孫さんに頼まれて買ってきたというジーパンを出してみせてくれた。東ドイツでももちろん、ジーパンは売っている。しかし、お孫さんの意見では西の製品に較べてなんとなくダサイのだそうである。「孫が気にいってくれるといいのだけど」といいながらおばあさんは荷物を網棚にもどした。 写真は、エルフルトの駅前広場です。 |