画像サイズ: 640×452 (96kB) | 列車は国境を越える
発車して一時間半ほどたつと草原のむこうに牧場の柵にしてはちょっと高いかなと思うようなフェンスが延々と続いているのがみえた。エンジニアさんたちの話では、これぞ東との国境とのこと。もちろん、無理に通れば、ものすごい電気ショッで失神するという。 上手く逃げおおせても銃殺れる確率は高い、と聞いたことがある。 しばらくして西ドイツの係官が巡ってきて形式的にパスポートをみていった。 ベブラをでてほんのわずかでまた列車がとまった。外をみると駅で、ホームにはお稲荷さんの鳥居の幟のようにDDR(東ドイツ)の国旗がやたらめったらたっていた。これをみれば東ドイツに入ったということは よほどぼんやりしていてもわかる。しかし、車内には予想していたほどの緊張感はない。やがて各車両二人ずつ係官が乗ってきて車両の両側から挟み打ちにするようにパスポートチェックをはじめた。 ちょうど、駅弁売りのようにアタッシュケースのようなものを90度ひろげて首からぶらさげている。どうやら中にはスタンプ、スタンプパッド、ボールペンなど文房具がはいっているらしい。なるほど、これは名案だ。係官は特に愛想がいいということもないが冷たい感じでもなく、まあわが成田の出入国管理官殿とかわりない。エンジニアさんたちも、おなじコンパートメントの東ドイツの老夫婦もつつがなくチェックをおえた。税関らしき人はついに現れなかった。念のためほかの車両にもいってみたが私のみた範囲では荷物を調べられている人はいなかった。ただ網棚にあった西ドイツの新聞、雑誌などは持っていったようだ。(活字の持ち込みは禁じられている)。
東ドイツという国はない
いままで、東ドイツ、東ドイツといっていたが厳密にいうと東ドイツという国名は存在しない。この国は正確にはドイツ民主共和国と呼ぶのだそうだ。ちなみに西ドイツはドイツ連邦共和国というらしい。なんだか民主というと西側のイメージが強いし、連邦共和国というとソ連みたいでなんとなくまぎらわしい。やっぱり東ドイツのほうが分かりやすいのでこれからもそう呼ぶことにしたい。 ついでに、東ベルリンという街の名前も正しくない。これは「ドイツ民主共和国の首都であるベルリン」と呼ぶのが正解。落語の「じゅげむ」みたいでとても付き合いきれない。 更に、東ドイツを東欧諸国とするのも異論があるようだ。東ドイツ国鉄(ライヒエスバーンという極めて帝国主義的な呼びかたをする)の食堂車や駅の構内食堂を経営している、いわばこちらの日本食堂にあたる企業をミトローパというがここは地理的にも文化の面からもまさに、中欧であって東欧ではない。例えば、アイゼナッハは西経10度すれすれに位置している。ミュンへンやニュールンベルグ、イタリアの大部分より西に当たる。ここが東欧だとするとウィーンなどは極東といわねばならなくなる。 文化的にも音楽、哲学などヨーロッパ文化の真髄がここから生まれており、まさにヨーロッパのなかのヨーロッパといえる。東欧というのは単に政治的な区分でしかない。しかし、この区分が当時のヨーロッパではなにものにも替えがたい極めて重い意味をもっているのでやむを得ず東欧と呼ばざるを得ない。 |