旅行記 
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[No.4873] 東ドイツ紀行 6 (1986年) 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/09/06(Tue) 06:51
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東ドイツ紀行 6 (1986年)
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 シェレメチエボ空港の忍耐

 今晩はここ、モスクワ空港でのトランジット泊ということになっている。どこの空港でも、翌朝まで乗り継ぎ便がないときはホテル代など先方もちで泊めてくれる。この制度を利用してヨーロッパの帰途かならずシンガポールやバンコクに寄り道して見聞を広めてくる人もいるとか。特に、アエロフロートは、アジアとヨーロッパの中継地としてモスクワトランジット泊を売り物にしているようだ。しかし、モスクワの場合は「少しの空き時間利用して市内見物」は難しい。

 ターミナルビルの案内標識にしたがって2階にあがってみるとまだ誰も来ていなかった。やがてぞろぞろ30人以上も集まってきた。結局、SU588便の乗客のほとんどがトランジットなのだ。ここには椅子のたぐいがないので立ったままで待つ。30分程してようやく制服の係員がやってきた。ヴォリュームのあるカラダが踵のやたらに細いハイヒールに辛うじて支えられているのが印象的なおばちゃんだった。
 何かいっている。どうやら行列の先頭は誰かときいている様子。本当は私が一番なのだがこんな場面では、奥ゆかしく人に先を譲り、何をどうするのかをよく確かめてからそれにしたがうのが無難なことは何度も経験ずみである。
 そこでわざと後ろのほうへ並んだ。

 ここでは、航空券を見せて乗り継ぎ客であることを確認する。(ここまではアエロフロートの受け持ち)次に、別のカウンターで仮ビザをもらってパスポートを預ける。ここからは、モスクワのトランジットの監督さんへの手に移される。(出入国管理の厳しいソ連でもトランジット泊にはビザを用意していく必要はない)。最後に翌日の出発便ごとに名前を確認してから空港ビルのそとに待機している送迎バスにのせてもらうことになる。しかし喜んではいけない。バスは他の便のお客も待つのである。

 結局、われわれを乗せたバスが空港を離れたのは、実に着陸の3時間後であった。これは、到着客名簿、行き先別乗客名簿、宿泊客名簿がすべて手書きなので記入漏れ、記入相違が何度も起きることによる。何度勘定しても客数が一致しない。すなわち事務疎漏なのである。さらに予定を変更したお客さんなどイレギュラーが発生すると、仕事を中断して別室の上司にお伺いをたてにいってしまうなど、めちゃめちゃ能率が悪いのである。また、手続きの説明をまえもってすることもしないのであった。
(写真は機内食のメニュー、外国人用です。(ほかにロシア語のものも用意してありました))


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