画像サイズ: 640×521 (93kB) | 行きとどいた市民社会システム
案内が始まって5分ぐらいたった頃である。老人クラブのおばあさんのひとりがその場にふらふらとしやがみこんでしまった。顔色が悪い。このところの暑さで暑気当たりでもしたのであろうか。おばあさんには悪いけどこんな場合この国のひとびとがどう対応するかちょっと興味があった。 それとなく観察しいると、まず、すぐ近くにいた若い男性と家族ずれのご一行さまのうちのパパがおばあさんを抱き抱えようとした。ところがうまくいかない。 重すぎるのである。すぐ、もうひとり手を貸した。案内人はただちに話をやめてこの一隊を誘導して事務室に連れていく。若い女性がおばあさんの荷物をもってついていく。ちょうど、足もとにおばあさんの靴がころがってきたのでそれをもって私もあとにつづいた。おばあさんの仲間のひとりもあとを追う。事務室の脇に小さい部屋があって、ついたての奥にべッドがひとつある。清潔なシーツで覆われており、花柄の毛布がのっている。みんなでおばあさんをここにねかせた。案内人は事務所のひとにおばあさんの世話を引き継ぐとおばあさんの仲間だけをそこに残してみんなとお城のなかにもどった。そしてなにごともなかったようにフレスコ画の説明をつづけた。
なるほど!と感心した。高齢者にとって住みよい社会とは、行きとどいた福祉とは、単に老齢年金が多いとか、医療費の心配がいらないとかいうことだけが条件ではないのではなかろうか。(当然それは必要条件ではあるが)。市民全体で自然な形でこういう人をサポートしていくこと、これが伴ってはじめていえることだとつくづくおもった。 もうひとつ、わが国の松島や二条城にもこの見学者用の休養室のような救護施設が整備されているのであろうか。 あらためて考えさせられてしまった。 |