旅行記 
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[No.4882] 東ドイツ紀行 10 (1986年) 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/09/10(Sat) 06:55
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東ドイツ紀行 10 (1986年)
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東ドイツ紀行 10

 効率的なフランクフルトの交通システム

 全員がフランクフルト空港のターミナルビルにはいったのは11時10分を少し過ぎた頃だった。一日一本しかない東ドイツ行きの列車は11時57分フランクフルト中央駅を発車する。もう駄目だろう、でも行くだけはいってみようと入国手続きを急いだ。ところが、パスポートコントロールはすいすいと通過でき、バッゲージクレイムにはすでに荷物がでていた。国電の空港地下駅はロビーの真下、電車は15分に一本ずつ出ていて、中央駅までは、わずか15分。駅ではピクトグラムにしたがって進むとすぐ切符売り場がみつかった。トマスクックの時刻表のなかのERFURTというところに赤ペンでアンダーラインをひいてみせると切符はすぐ買えた。ホームの表示も分かりやすく、目指す列車もすぐみつかった。
 列車は予想していたよりずっと混雑していた。なんとか空いているコンパートメントをみつけてすわって時計をみるとまだ発車まで6分あった。これぞドイツ的効率主義である。

 車内で親切な日本人に会う

 荷物を網棚にあげてほっと一息ついていると、「ああ、あいているとこがあるワ」という、まぎれもない日本語、しかも、関西弁が耳に飛び込んできた。と同時にダークスーツの中年の二人づれの日本人がコンパートメントに入ってきた。彼らはしげしげと私をみて「へえ、おたく日本の方ですか。どこ行かはるんですか。へえ、東ドイツヘお一人で。だいぶ変わった方ですな。まあ、おたくもつれがあってよかったワ。ひとりやったら心細いでしょう」と一息でしゃべった。きけば、彼らはエンジニアで技術提携しているライプツィヒ郊外の東ドイツの会社(ここでは人民所有企業というらしい)に技術指導のために滞在している由。典型的な日本のサラリーマンでゴルフやマージャン、パチンコ、縄のれんに縁のないこの国での暮らしは忍の一字のようだった。唯一の楽しみはアパートで乏しい材料をやりくりして日本食らしきものをつくって食べることにあるという。その日はたまたまメーデーで会社が三日間休みだったので西の空気を吸いに西ドイツのバーデンバーデンに出掛けた帰りとのこと。しかしわざわざ西に行ったのに、ぜんぜん日本人に会えなかったとがっかりしてこの列車に乗ったところ私がいたーーーということらしい。
(スパイの疑いなど掛けられないように、東ドイツ行きの列車の車内で写真を撮るのは遠慮した。写真は通過する「テューリンゲンの森」の初夏の様子です)


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