旅行記 
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[No.4929] 続・東ドイツ紀行 25  (1986年) 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/09/25(Sun) 06:31
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続・東ドイツ紀行 25  (1986年)
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 5月6日(火) 晴れときどきくもり、一時雨

 ワイマールってどんな街

 森本哲郎さんは「ワイマールには、あまりにも多くの歴史が、そして歴史には、あまりにも多くの文化が、文化にはあまりにも多くの作品が、作品にはあまりにも多くの注釈が、注釈にはあまりにも多くの異論が、異論にはあまりにも多くの政治的な立場があり、その立場にはあまりにも多くの悲劇がある」と総括しておられる。そうです。小さな街ですが、大変なな街なのです。
 「ワイマール共和国」「ワイマール憲法」という言葉はおなじみと思います。
ここは、神聖ローマ帝国時代には、ワイマール公国。この時代には、バッハが宮廷楽長で、ゲーテが政務長官(宰相)いう豪華キャスト。もっとも、宰相と言っても、規模から言えば、藤沢市の市長さん、といったところでしょうか。
 ゲーテは、環境・衛生の向上に熱心に取り組むなど、意外と行政に熱心だったそうです。
 その後、アウグスト公に無期限の休暇を願い出てイタリアへ。しかし出発の時、ゲーテはアウグスト公にも奥さんにも行き先を告げていない。まあ、勝手放題みたいなところがありますね。でも、その後は、なくなるまでワイマールで過ごしました。
 一方、バッハは、その長い音楽家としての第一歩が「ワイマール時代」であったのですね。その後「ケーテン時代」「ライプツィヒ時代」と歩んでいくわけですが、私の想像では、この街でいろいろな刺激を受けたことがその後の音楽活動にいい影響を与えたのだと思います。

 ところで、ワイマールにゆかりのある方で、日本でも知られている方、と言いますと 音楽では、バッハ、リスト、リヒャルト・シュトラウス、ワーグナー、シェーンベルク、アルバン・ベルク、ヒンデミット。美術では、クラーナッハ、カンディンスキー 。文学では、ゲーテ、シラー、トーマス・マン、レマルク、ブレヒト。哲学でしたら、ハイデッガー、いゃ、まだまだ大勢おられるはずです。 観光地としても、見どころいっぱい、そこいらじゅう、世界遺産が散らばっている街なのです。EUから「ヨーロッパ文化首都」にも選ばれています。そのせいか、当時でも、街の中は、きれいで、諸設備もよく整備されていました。

見聞については、次回書きますね。なお、写真は市内の様子です。


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