旅行記 
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[No.4956] 続・東ドイツ紀行 34  (1986年) 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/10/07(Fri) 06:47
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続・東ドイツ紀行 34  (1986年)
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 またまた、ライゼビューローヘ

 まず、ライゼビューロー(国営旅行社)にいく。明日のホテルがマグデブルグに指定されている。誰もこんなところをたのんだ覚えはない。一方的に当てがわれたのだ。明日はベルリン見物を予定しているのにそんなところに泊まったら不便だ。大体、マグデブルグになにがあるというのだ。昔、教科書に、この街で、真空の実験をするために馬で空気を抜いた玉を両方からひっぱったという話がでていたが、私がこの街について知っていることといえばこれだけだ。

 ライプツイッヒのライゼビューローには例によっておばちゃんがいて「分かりました。ベルリンにきいてみましょう。但しベルリンのホテルはみんな高いですがよろしいですね。いえ、差額を払っていただくという訳にはいかないのです。一旦全額支払っていただいてマグデブルグのクーポンは日本へ帰ってから払い戻してもらっていただくことになりますが」。と分かりやすい英語で応じてくれた。なんでもいいからとにかくベルリンに泊まりたいというと、20分ぐらいあちこち精力的に電話をかけていたが、「アイアムソーリー、ベルリン市内のホテルはすべて満員です」とのこと。丁寧にお礼をいってライゼビューローを後にした。やはり「メーデー」ウイークで、首都のホテルは混んでいたのであろう。

 聖トマス教会にて

 街を歩いてみる。若いひとが多い。服装もなかなか垢抜けしている。本屋、楽譜屋がめだつ。たしか、ペーター版、レクラム文庫の「発祥の地」のはず。楽譜屋さんには、モーツアルト、ベートーベン、バッハ、メンデルスゾーンなどの古典が多い(ただ、日本の古本屋で買える「昔のペーター版」にくらべ紙質がよくない)。なお、この街にきてからヴァイオリン抱えた子供によくあう。クラシック音楽は盛んのようだ。
 また、本屋さんにはコンピューター関連のものが目につく。この国は今、国をあげてハクテク化に取り組んでいるのだ。しかし、これは「専制主義国家」にとっては「危険な徴候」と私には見えた。
 先ず、聖トマス教会へ。ここには、ヨハン・セバスチャン・バッハが1723年から世を去るまでつとめていた。沢山の名曲を残しており、今もここに眠っている。祭壇に墓標があり、赤いバラが手向けてあった。  一体、幾度、バッハの音楽に慰められたことだろう。きっと、この後もまた。
 ここのバッハの像は、少し庶民的で世帯やつれしているような表情をしている。子沢山の上,内弟子さんもいて、扶養家族が多かったので、楽長さんもラクではなかったのであろう。
 幸いにして、今回の旅ではアイゼナッハ、ワイマール、ライプツィヒと、ケーテンをのぞきバッハの足跡をすべてたどることができた。
 ここで、はじめて、日本人観光客に出会う。新婚らしいカップルで当地のガイドを連れている。ガイドは英語で解説していた。聖トマス教会は小さいが、すきっとしたゴチック建築でステンドグラスも美しい。


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