旅行記 
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[No.4950] 続・東ドイツ紀行 29  (1986年) 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/10/02(Sun) 07:31
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続・東ドイツ紀行 29  (1986年)
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 エルベ川との対話

 ホテルに荷物を置くと街へでた。旧市街を通ってエルベのブリュールのテラスにいく。1945年の爆撃で徹底的に破壊されたというのに、いまやほぼ完全に昔の町並みが復元されている。ノイマルクトにある瓦礫の山だけが41年前を物語っている。
 テラスに腰をおろしてあたりを見回すと河畔にはバロック建築が重厚な姿でならんでいるし、遊歩道にはこれも由緒ありそうな彫刻が並んでいる。暑い日だったが河面をふく風は心地よい。傾きかかった陽がエルベに反射している。
 すべて明るい風景なのに、私の心は重く沈んでいた。耳の奥にはさっき、車内できいたあの、ざっく、ざっく という軍靴の音が残っている。
 ドレスデンはたしかに復興した。
 あの瓦礫の山だけを残して。
 しかし、ここから幾らも離れていない国境地帯には、ソ連、東ドイツの大部隊が駐屯している。彼らはソ連の防人だ。本当に、エルベの水が再び血に染まることはないのであろうか。私はすっかり気がめいってしまった。
 センパー美術館でラファエロのシスチンのマドンナをみた。が、これも私の気持ちを引き立てたりにしなかった。十字教会も市役所もみる気がしなかった。アンデルセンやゲーテが賛美した、北のフィレンツェといわれたドレスデンは見事に蘇っている。この市民たちの驚くべき根気と努力には深く敬意を表したい。でもこれをみないという私の勝手を許してもらいたい。
 まだ、昼間のように明るいプラガ一通りをとぼとぼと引き返した。そしてホテルのレストランで夕食をして早めに寝てしまった。
 (写真は、ブリュールのテラス近辺の風景と、センパー美術館の入場券と「ラファエロのシスチンのマドンナ」の絵葉書です)


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