画像サイズ: 535×472 (93kB) | 社会主義国のボナペテ
とにかく、おなかがすいた。ドレスデンの駅には、セルフサービスのものを含めて3つのレストランがある。 この日は中級のレストランヘいってみた。隣のテーブルのひとが、大皿に焼肉やサラダを山盛りにした料理をもらっているのが美味しそうにみえたので、蝶ネクタイに白の上着のウエイターに手真似をまじえて注文した。彼は運んできた料理をテーブルにならべると「ボナペテ、マダム」といった。もちろん、お勘定のとき、これに、見合ったチップを置いたことはいうまでもない。 江国 滋氏の「旅はプリズム」という本は、同氏が東ドイツ政府に招待されたときの旅行記であるが、このなかに、レストランが満員であやうく食事をしそこねる話、ウエイトレスの態度が悪くて腹をたてる話か再三でてくる。今回の旅行中、そんなことはまったく経験しないですんだ。1976年当時は、江国 滋氏のような招待客であり現地のガイドに四六時エスコートされていたひとでも、こうだったのだから、事情がわるかったのであり、ここ数年で大幅に好転したのであろう。 目下、国をあげてサービス改善に精一杯努力していることはよくわかる。たとえば、インターホテルなどでは、日本の会社のように従業員が胸に名札をつけており、「万一、応対の悪いものがおりましたら名札の名前をみておいてマネージャーまでご一報ください」という掲示がでていたり、例の「バスルームの清掃 1、よい 2、ふつう 3、わるい」といつたスタイルのアンケートがライティングデスクに置いてあったりするのだから。 そのうえ商店でも、郵便局にも、「この窓口は何曜日は何時から何時まで開いています」ということが明記してあり、しかも私の経験では間違いなくその時刻には係員がいた。 でも、ボナペテ、マダムは一寸意外であった。
それから、もう一つ、気がついたのは、到着した日には、注文した料理には、たしかにトマトやレタスなどの生野菜のサラダがついていたが、二日目以降サラダはこの国のレストランというレストランから一斉に姿を消した。それがこの日、ドレスデンで「復活」したのである。東ドイツのテレビニュースでは「チェルノブイリの事故」については、あまり取り上げていなかったようだが、密かに国民の健康を心配していたのであろうと思う。そして、おそらく「汚染度の低い野菜の確保」に目途が立ったのではないかと思う。
(写真は「北のフィレンツェといわれた美しいドレスデンの街」) |