旅行記 
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[No.4972] 続・東ドイツ紀行 42  (1986年) 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/10/15(Sat) 06:50
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続・東ドイツ紀行 42  (1986年)
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 ベルリンを歩く

 ここからウンターデンリンデン通りを東にむかう。どっしりとした国立ドイツ図書館(?)の隣の大きな建物はフンボルト大学。入り口には創設者、フンボルト兄弟の像がありベルリンの街を見下ろしている。中公新書の「フンボルト」によれば彼の論文には「−−−国家は人間のために存在するのであって、人間は国家のためにあるのではない。−−国家のなし得る最も積極的なことは、市民の自発的な活動にいささかでも影響を及ぼすようなことから手をひくことであるーーー」ということが書かれているそうだ。彼は18世紀末に今日のドイツを想像できたのであろうか。
 像のそばのベンチにはジーパンにティーシャツの男女の学生がくったくなげにくつろいでいた。

 かつてここでは森林太郎(森鴎外)、北里柴三郎などたくさんの日本人が「学んで」いる。今回の旅行で出会った日本人はいずれも技術指導など「教える」ためにこの国に滞在している人であった。ここに時間のへだたりを感じる。
 シュプレー川を渡ると中の島になっておりここは博物館が集中していることから博物館の島とよばれている。どっしりとした建物の旧博物館、国立美術館もみたかったがベルガモン博物館へ行った。ここには紀元前180年ごろの古代都市ベルガモンから発掘されたゼウスの神殿の祭壇、メソポタミアのバビロンで発掘された城壁の模様などすばらしいコレクションがあり、しかもいかにもドイツらしく見学者にみやすい陳列方式をとっている。ベルリンでどんなに時間がなくてもこれだけは見たかった博物館であったが実際みる価慣がある。

 ホテルウンターデンリンデンのレストランで遅い昼食をとる。ここには西のレストランとおなじようなサラダバーがあり例のキャベツやじゃがいもだけでなくピーツ、トマト、カイワレらしきものなどいろいろ選べるようになっていた。ところがおなじテーブルの母娘はこの色とりどりのなかからキャベツだけをお皿に入れてきた。きっとふだん食べているものだけが安心してたべられるものなのであろう。私はパンを浮かべてオーブンで焼いたスープなどをこれが東ドイツ料理の食べ納めとばかりお腹いっぱいたべ、ベルリンの街をあとにした。

(写真は、フンボルト像、ペルガモン博物館、シュプレー川)


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