旅行記 
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[No.4981] 続・東ドイツ紀行 44  (1986年) 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/10/20(Thu) 06:47
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続・東ドイツ紀行 44  (1986年)
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 ポツダムはセンスある街

 ポツダム中央駅から街の中心地へは林のなかをくぐって電車でいく。この街は大都市ベルリンに隣接していながら林と湖にかこまれた小粋なリゾートタウンである。
 インターホテルポツダムはハーペル湖のはじっこにある堂々としたホテルである。(こんなに立派なホテルに泊めてくれとたのんだおぼえはない)。この街で必見のものといえばサンスーシー宮殿とツェツィーリエンホフである。
ところが、この時すでに閉館時刻の5時間近であった。朝方のんびり時間を消費したので遂にポツダム見物の時間がなくなったのだ。

 ここにも厳しい現実が

 とにかくより近いツエツィーリエンホフヘ急ぐ。赤レンガの門を入ってよく手入れされた新庭園のなかを15分近く歩くとやっとツェツィーリエン宮殿に着く。庭園は通路の両側に緑の木立がつづいており、そのまわりは芝生になっていた。右手には芝生のむこうにへイリンガー湖が光っている。木々では小鳥が歌をうたっている。途中の建物は兵器博物館だ。この辺りにはロシア兵がたくさんくつろいでいた。その少し先にツエツィーリエンホフがあった。
 ポツダム宣言により、その名を当時のすべての日本人に忘れることのできないものにしたポツダム会談のおこなわれた場所である。20世紀のはじめホーエンツォレルン家最後の王子であったウイルヘルムが住んでいた宮殿ときいていたが英国風の建物である。もう5時を過ぎているので内部の見学は出来なかったが建物は田舎の別荘のような作りになっておりむしろ質素な感じがする。あれから41年、OLの私がはるばる日本からこうして気軽に見物に来ていることを知ったら当時の米、英、ソの3首脳はなんと思っただろうか。
 宮殿を後にしてしばらくすすむと森のなかに湖に沿って金網が張ってある。掲示板があって「国境につき注意!」と各国語で書いてある。この先は西ベルリンなのである。
 そういえば、さっき手前にあった小高い丘は、こちら側から西を眺めるためのお立ち台であったのだ。オペラグラスをぶらさげた人たちがぞろぞろ降りてきたのは西側見物を済ませたひとたちだったのだ。また、そのすぐ先には米軍の駐屯地がある。(もし私の見間違いでなければ)。
 日本にいると戦後は遠くなりにけりの感があるがこの辺をうろうろしているとまだ、第二次世界大戦は終わっていないのではないかという錯覚に陥ってしまう。出口のすぐ脇にバス停があり丁度よくバスが待っていた。ホテルの近くまで5分ぐらいで着いた。


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