画像サイズ: 537×525 (95kB) | 何はさておきゲバントハウス
ライプニッツの像のあるライブツィヒ大学をちょっとみて、再建なったゲバントハウスヘいく。思えば東ドイツにきてまだ一度もコンサートに行っていない。いくならば今夜をおいてチャンスはない。入口の案内版によると木曜は大ホールは休みだが、今夜は小ホールでソ連のピアニスト、ルドルフ ケーラーというひとのリサイタルがある。プログラムはショパンのポロネーズ、ノクターン、プレリュード、リストの葬送曲(はじめて聴く曲)、ハンガリアンラプソディ、ベトラルカのソネット。 早速、窓口にいって当日売りの切符は何処で売っているかを尋ねる。といってもドイツ語はわからない、知っている限りの単語を必死でならべる。「ホイテ、アーベント、クライナーザール、ピアノ、いや、ええとクラヴィーアかな、チケットじゃなくてカルテかしら」。こっちのいったことが分かったらしくしやべりだす。よく分からないけど腕時計を見せて「ジーベンウーア」といいながら小ホールの入口を指差す。〈多分、7時にここにくれば買えるーーーといっているのであろう。違ったらどうするか、心配ない、別に生命に係わる問題ではない。庶民はたくましく、恥しらずに旅を続ける〉
レストランさくらと、また親切な日本人
こうなると忙しい。ホテルに戻って着替えなければ。とはいっても着たきりスズメのこと、大したものは持っていない。でもコンサートに行くのだからせめてブラウスぐらいは替えよう。それから食事も済ませておかなければ。 ホテルメルクアには、日本レストラン「さくら」があって、東ドイツの板前さんが腕をふるい、東ドイツの娘さんがお給仕をしてくれるとか。話のタネにここにいってみた。鉄板焼きを注文する。時間がない。急いでもらわねば。―――ところで、ええと、「急いでください」は何というのだったっけ。わずかな単語をやり繰りしている身には一つ忘れるのは痛手である。近くで列車の走る音がする。急行列車は確かシュネルツークだ。当時は「テッチャン」だったから鉄道用語は少し詳しい。青い眼の板さんに「シュネルツーク、ビッテ」というと分かったらしくニコニコしていた。 やがて、紺地のゆかたに黄色の博多帯の東ドイツ娘さんがしずしずと赤だしをお盆に乗せて運んでくる。突き出しは「糸ごんにゃくときのこの煮付け」。あとはビールと鉄板焼き。これは牛肉の他にじゃがいも、人参、しいたけがついている。タレはポンズとゴマダレがグートとのこと。 向こう側テーブルの3人連れのひとりが「これから何処かへお出掛けですか」と日本語で話しかけてくる。やはり、東ドイツの企業に技術指導のため派遣されているのだそうだ。ゲバントハウスヘ行くことを話すと、「この雨の中を。ちょうどそっちに行きますからお送りしましょう」といってくださる。外は激しい夕立。ご厚意に甘えることにした。 彼の部下らしい東ドイツの青年2人と車に乗せてもらう。 この2人はこのケンと呼ばれる日本人を尊敬していてよくいうことをきく。そして、たどたどしいが日本語も知っている。 私のために近道をする。「ケン、ポリツアイ(警察官)がくるよ」と青年のひとりが注意している。最初の日に会った日本人が現地の生活に馴染もうとせず、ひたすら日本を恋しがるタイプであったのに対し、この人は積極的に現地の人たちと打ち解けていくタイプらしい。2人に共通することは私に親切なことである。5分ばかりで雨の上がったゲバントハウスに着いた。
(写真は、ホテルの窓からながめ。ホテルの室内。バスルームーーー豪華でしょう) |