旅行記 
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[No.4969] 続・東ドイツ紀行 41  (1986年) 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/10/14(Fri) 07:49
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続・東ドイツ紀行 41  (1986年)
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 ウンターデンリンデン通り

 フリードリッヒシュトラーセ駅に着いたのは10時半ごろであった。ただちに、ウンターデンリンデンヘ。今や、リンデンバウムも新緑の季節を迎えており、この国の表看板にふさわしくなんとも美しい。そのうえ広くて清潔な通りの片側には気のきいたブティックなどもある。まさに東欧のショーウィンドウである。
 ただ、なんとも目障りなのが、東京でいえば銀座の尾張町の角に相当するところに、でんとそびえているお城のようなソビエット大使館、通りをはさんで居座っているアエロフロートのベルリン支店なのだ。われわれからみても気になるのだからこの国のひとびとにとってはどんなにうっとうしいことであろう。 
 街のあちこちに「ソ連との友好関係を深めよう」というスローガンが目につく。浮気をはじめたご主人がやたらに「愛しているよ」といいはじめるのと同じで、西側諸国との関係を深めつつあるからこそ、この国がソ連に気を使っているのではなかろうか。
 そのアエロフロートヘ航空券のリコンファーメイションに行く。若い窓口係りがこぼれそうな笑みを浮かべ(気持ちわるい)私の切符を受け取ると、手許の端末機をちょんちょんとたたいて「オーケー、べリーグツド、マダム」とのたもうた。手渡された粗末なメモには便名、出発時刻などと一緒にわが留守宅の電話番号まで印字されていた。やれやれこれでひと安心。
 ウンターデンリンデン通りが突き当たったところがブランデンプルグ門である。そのはるか手前に柵があってその先は立入禁止の無人地帯になっている。ここには国境警備隊らしき数人の姿がみえるだけだ。柵のこちら側では 2、30人の観光客がお互いに記念写真のとりっこをしていた。
 ただひとり中年の男性がじっと柵にもたれて何時までもブランデンプルグ門の彼方を見つめていた。  おそらく西ベルリンに身内がいるのであろう。あくまでも明るく爽やかで清潔な風景のなかでのことだけに一層、この人の背中だけが悲しそうにみえた。
 ブランデンプルグ門こそかつてのベルリンのシンボルであり門のうえには4頭の馬車る女神の像があるといわれている。これらの観光客がみんなで門のそばへ寄ってこの像を見物できる時代がはたして来るのであろうか。

 (写真は、ブランデルブルグ門の手前の無人地帯と、その手前にそびえ立つアエロフロートのオフイス)


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