旅行記 
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[No.4937] 続・東ドイツ紀行 27  (1986年) 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/09/27(Tue) 07:39
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続・東ドイツ紀行 27  (1986年)
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 プーヘンヴアルト収容所に行かなかったわけ

 もうひとつのワイマールにおける必見の地、ナチスのユダヤ人収容所には行かなかった。時間がなかったからではない。今度の旅行はまったくの個人旅行なので、この6日間どこでなにをみるか、これをすべてきめるのは私自身なのだから。理由は恐ろしかったからだ。暴君ネロやキリシタン殉教の史跡ならばだいぶ風化しているからまだしも気が楽である。しかし、これは私が生まれてから後の、当時の同盟国でのなまなましいできごとだ。卑怯かもしれない。でも、これに直面する勇気は私にはなかった。

 重々しい車内の雰囲気

 このあとは、ライプツィヒ経由でドレスデンヘいく。雨は上がっていた。列車がまた遅れた。
 ライプツィヒでドレスデン行きのホームにいってみると何やら異様な空気がただよっている。兵士、兵士、ものすごい人数の兵隊さんが広いホームを埋め尽くしている。そのうえ、まだまだ階段からあがってくる。皮の長靴をはいてカーキー色の制服をきて、おなじカーキー色のザックと毛布を背負っている。ホームの両側に5メーターおきぐらいに将校らしいひとが立って鋭い目つきであたりを見張っている。列車がはいってきた。今日の列車はコンパートメントでなくサロンカーである。なるべく兵隊さんたちの乗らない車両をさがして乗る。それでも、通路の反対側の席は将校で一杯だ。私の前の席もそうだ。いつもの癖で「この列車はドレスデンヘいきますよね」といった。向かいの軍人はガラスのような目でちらっとこっちをみたがなんにも答えなかった。シラッとした重々しい空気が車内に漂った。隣の奥さんがあわてて「ええ、いきますよ」と答えた。私の隣の若い男の人は読みかけの新聞から目をあげない。ちらっとみたらどうやらチェッコの新聞らしい。いままでいつも車内を覆っていたほんわかムードはここにはない。将校のひとりがペーパーバックを読んでいる。ちらっとみるとロシア語だ。しかも、表紙には英語でCIAとかかれている。背筋に冷たいものが走った。と同時にすべてが理解できた。彼らはロシア兵なのだ。ドレスデンはポーランドにもチェコにも近い。おそらく、ポーランド国境警備に向かう一隊なのだろう。とかくもめごとの多いポーランドで何かあれば、ソ連と東ドイツの両側からはさみ打ちするつもりか。彼らはドレスデンのひとつ手前、レスデンノイシュタットで降りた。 
 ざっく、ぎっく、ざっく という軍靴の昔が重いリズムを刻む。これから行くドレスデンが今度の戦争で壊滅的な被害をうけたときいているだけに、余計、この軍靴のリズムが耳に残った。あの音を聞くと子どもの時に戦争を経験している私にはアタマの上に重しがのしかかるような気分になる。
 (写真は、戦後建てられたと思う巨大な安普請の住宅)


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