旅行記 
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[No.4958] 続・東ドイツ紀行 36  (1986年) 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/10/09(Sun) 08:01
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続・東ドイツ紀行 36  (1986年)
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 順番は公平に

 入り口にはすでに6、7人が待っていた。また雨か激しくなったので列をくずして軒下に入っている。7時きっかりに開門、 前売り券をもっている人から入れていく。その後でお客の入り具合をみながら3、4人ずつ、当日売りを待っている人を入れていく。列は崩れていたが、みんなさすが行列のプロだけあって順番はよく覚えている。10分ぐらいたって「次のひと」と呼ぶと誰かが私の背中を押す。
 なかに入ると、紺の上っぱりをきたおじいさんの係長が切符売り場に連れていってくれる。切符は8マルク=六百円)。プログラムは40円。ロビーは華やか。みな精一杯おしゃれをしてきている。尼さんたち、眼のみえないご主人の手をひいているおばあさんもいる。
 ワイン、ジュースも売っており、ワイン片手におしゃべりを楽しんでいる様子はウィーンのシュタートオーバーあたりと少しもかわらない。座席は完全にふさがっていた。

 聴きごたえのある演奏

 このケーラーというひと、日本ではレコードもでていないし、名前も聞いたことがない。60過ぎの逞しいひとである。まず、ポロネーズ(英雄)の出だしでぴっくりした。おなかにどどんとくるような逞しい弾きかただ。もっとも、ゲバントハウスの音響効果もそうとうなものだ。
 しかし、なんといっても、彼はロシア人、しかもかなり武骨な感じのするひとだ。そして、ショパンはポーランド人、リストはハンガリーの農村の生まれ、そして、ここは東ドイツである。ショパンもパリの社交界にいるときのように気どってはいない、逞しいショパンである。そのせいか、プレリュードでは、あのやるせなさ、悩ましさが感じられない。リストでは、特にハンガリアン・ラプソディーで確かな技巧をみせていた。しかし、なんといっても力のこもった演奏でふかく感動した。

 ゲバントハウスの聴衆

 満員の聴衆は一曲ごとにわれるような拍手でこたえた。
 また、演奏中も身をのりだし、からだで拍子をとりながらききいっている。
 メンデルスゾーンを初代の常任指揮者としているゲバントハウスオーケストラを長年にわたりささえてきたのは聴衆、すなわちライブツィヒの市民である。かれらはきわめて質の高い聴衆として自他ともに認めている。ここでうけたということは、おそらく演奏家冥利につきることであろう。アンコールに6曲ひいたことでもかれの感激がわかる。(後でわかったところでは、結構有名人で、ジョージア(グルジア)生まれでモスクワ音楽院教授をへて、のちに、ウィーン国立音楽大学マスタークラスの教授となった方だったのだ)。
 終盤では、舞台と客席が完全に一体となっていた。最後のアンコールのとき、もう終わけだろうと思って廊下にでたらまたものすごい拍手なので引きかえしてみると、かれはステージから私をみつけて手真似で席に着くように合図する。私が座ると「ダンケ・シェーン」といってグリークをひきはじめた。
 ホールをでるとすでに雨はあがっていた。東ドイツは治安のよいところなので深夜の道をホテルまで歩いても、心配はない。この夜は興奮したのかなかなか寝つけなかった。

 (写真はゲヴァントハウスの建てものと、入場券)


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