旅行記 
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[No.4963] 続・東ドイツ紀行 39  (1986年) 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/10/12(Wed) 07:59
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続・東ドイツ紀行 39  (1986年)
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 えらく早かったな

 Z00駅でキオスクにいってみた。西側の新聞を見出しだけでもみたいと思ったのだ。「新聞スタンドはどこ」ときくと売り子のおじいさんはにこにこして壁を指した。8mぐらいの壁がわ全体が新聞と雑誌でうまっているのだ。
 私のわかるものだけでもフランクフルター・アルゲマイネ、ニューヨークタイムズ、イズベスチヤ、人民日報、朝日新聞など。このほかアラビア語、ギリシャ語などの紙名すら読めないものもたくさんあった。
 かつて東西両ベルリンは東西両陣営のショーウインドーだと言われていたという。このウインドー較べ、いまやクリーンで秩序正しく、しかも気の利いたブティックなどの並んでいる東ベルリンのほうに軍配があがることは、ごみだらけでコジキやアル中のうろうろしている西ベルリンも認めていることだろう。しかし、この新聞スタンドは、東ベルリンという「ショーウインドー」が西側諸国では品揃えの目玉となっている自由、中でも報道の自由という品揃えに欠けていることを訪れたひとに示しているのだなと思った。
 新聞の見出しだけみた限りではこの世の中、大事件は起こっていない。記念に切手を買った。ただし、駅の郵便局には記念切手はなかったので通常切手を買った。西ドイツのものと同じものだが、DEUSCHE BUNDESPOST BERLINと国名に「べルリン」という字が入っている。
 帰路の入国手続きも入国カードに残りのホテルヴァウチャーを添付して渡すだけで簡単に終わった。しかし入国査証料1200円也をしっかりとられた。ずんぷん高いサラダについた。東側のコンコースで往路の窓口にいたポリツァイさんが交代で一戻ってくるところに出会った。こっちを向いてにやにやしながらなにか言っている。おそらく、「ずいぶん早く帰ってきたな」というような意味のことをいっているのであろう。

 鈍行でマクデブルグヘ

 行きと同じ要領で今度は逆に東の国電に乗り換えてアレキサンダープラッツまで行く。ここには、大きなホテル、デパートの他、われわれ外人旅行者の世話を一手に引き受けているライゼビューローの本店がある。ここで、もう一度、ベルリン市内のホテルを捜してもらおうというのだ。
 我ながらずいぶんしっつこいと思う。しかし結局ここでも「残念ですが」ということになる。
 ようやく諦めてマグデブルグにいくことにする。ところがシューネフェルト駅にいってみるとマグデブルグ行きの急行は出てしまっていた。駅の時刻表によると次の急行がマクデブルグに着くのは真夜中の24時になる。もっと早く着くローカル線があるのではなかろうか。駅のインフォーメーションオフィスにいってみた。日本と違って時刻表を持っているひとの少ないヨーロッパではこの種のものはよく利用されているが、ここもご多聞にもれずふたつの窓口はお上りさん達で賑わっていた。窓口の中年女性は私の求めに応じて手許の記入用紙に時刻表も見ずに出発時刻、乗り乗換駅の到着時刻、出発時刻、マグデブルグヘの到着時刻をさらさらと書いてくれた。これによると23時には着く。
 まだすこし時間がある、駅のセルフレストランでハンバーガーを食べる。パンもふんわりして暖かかったし、わりにおいしかった。

 (写真は西ベルリンです)


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