特攻インタビュー(第1回) 後編
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投稿日時 2011/12/12 7:39
編集者
居住地: メロウ倶楽部
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陸軍航空特攻 前村 弘氏(後編)その1
特攻隊戦没者慰霊平和祈念協会
特攻ライブラリー取材スタッフ
―――――――――――――――――――――――
前村 弘氏軍歴(略歴)
陸軍宇都宮航法学校・特別幹部候補生第1期
陸軍飛行第六二戦隊・四式重爆撃機「飛竜」航法士
東海沖特攻、沖縄特攻に参加
◇ ◇ ◇
○特攻ライブラリー取材スタッフ (五十音順)
及川 昌彦 世話人
神崎 夢現 進行・構成
倉形 桃代 記録
堤橋 律子 世話人
須貝 智行 写真撮影
高橋 暢 映像撮影
長尾 栄治 インタビュアー
◇ ◇ ◇
◆初陣!「攻撃ハ特攻トス」
--------特攻なんですけど、初陣というのは気持ちも違うものなんでしょうか。
前村‥緊張しますね。そのときは戦隊長も一緒に行くつていうことを知らなかったもんですから、戦隊長に命令を受けて不動の姿勢をとっているときも、何か自分の顔が歪んでいるような錯覚にとらわれましてね。それほど緊張していました。なにしろ初めてなものだから……。
--------その後、大分の海軍基地で訓練された際に、特攻の訓練ということは解っていたのでしょうか?
前村‥いや、それが解っていませんでした。跳飛弾訓練とはいうものの、跳飛弾を落としもしないで、あんな艦橋すれすれに飛ぶ訓練でしたから、後になって体当たりのための特攻の訓練だと思いました。
--------訓練中は言われたままの跳飛弾訓練なんだろうと思ってやっていたのですね。それでは3月19日の出撃で(攻撃ハ特攻トス)と命令されたのは、あまりに突然だったのではないでしょう
か。
前村‥全隊員が飛行場の控え所(ピスト)に集められて、黒板に敵機動部隊の位置やら出撃計画やらが書いてありました。よく見ると、そこに(攻撃ハ特攻トス)と力強く書いてあったんです。その文字が他の文字より急に大きく見えました。体中に電流が走るような、冷たい流れるようなモノを感じ、一瞬ですが身体が震えました。橋本見習士官が私のかたわらに来て肩を叩きながら、「初陣だぞ。隊長は三浦中尉殿だ。航法には隊長殿と呼吸のよく合う前村候補生。お前は隊長機に乗って貰うぞ」と言いました。
そして、「遺書と遺髪と爪を残しとけ」と言われて、ああこれはもういよいよ体当たりだなあと思いました。いきなり遺書って言われたって筆で書く時間もないし、自分の大学ノートの最後の頁へ、両親宛てに万年筆か何かで簡単に、「生前の親不孝をお許し下さい。私は立派にお国の為に散って行きます。之が唯一の親孝行と思って、褒めてやって下さい。では出来るだけ私の分まで長生きして下さる様にお願いします」と書いて、橋本見習士官に托しました。
--------そのとき、どのように受けとめられたのでしょうか?
前村‥どのように答えたか覚えていないのですが、当時の気概としては、除外されたいとか辞退したいとかの気持などはなかったですね。今の平和の時代の感覚で当時を考えるなら不思議なことかもしれませんが、それが事実でした。
--------記録には出撃の出発時刻が午後3時半くらいと書いてあるのですが、命令を受けてから出撃するまでに3時間ほど時間があったようですね。その待機の時間は、どんなふうにお過ごしになられたのでしょうか?
前村‥眠気が吹っ飛んだね。出撃する1時間か1時間半前には、ピストの前にご馳走が一杯並んでいましてね。それこそ食べたこともないようなカマボコだとか刺身だとかが、きれいに並んでいるんだけど(笑)、やっぱり駄目ですよ、食えないですよ。死ぬんだと思うとね。酒も呑めないしね。まあ、もちろん私は酒はもともと呑まないからだけど。美味しいものも美味しくないですよ。
戦友たちと「俺も後で行くから獲物は残しておけよ」といったような言葉のやりとりをしていました。同期の小見候補生の様子が少々気がかりでね、いかにも沈んだ様子で元気がなく深刻な面拝だったので、つい私まで深刻になり、不動の姿勢をとっても顔がゆがんでいるような錯覚を覚えてコチコチに緊張していました。それと特攻に選ばれた名誉は嬉しかったのですが、隊長機の航法は責任重大だったので、果たして未熟な私の腕で大丈夫なのかという不安が大きかったです。