特攻インタビュー(第1回) 後編 その4
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陸軍航空特攻 前村 弘氏(後編)その4
◆初陣!「攻撃ハ特攻トス」(4)
--------移動中は保針をとることで、航法の地点標定をずっとやっていらっしゃるわけですか?
前村‥そうです。30分くらいは飛んだでしょうか、私の心は落ち着かなかったです。なかなか陸地が見付からないんですね。私は航法手としての責任を感じて焦りました。航法を誤ったり計算間違いしたりしたら名誉に関わるということで、慎重に慎重に何回も測定しました。偏流測定とか対地速度測定とかをやりました。しばらくすると、うすぼんやりと陸地らしいものが見えて来ました。さて何処だろうと地図を拡げながら見ていると、何かキラキラ光る湖のようなものが見えてきます。
よく見ると浜名湖です。浜松にピッタリ着きましたよ!我ながら航法うまい!なんて思って(笑)。浜名湖がピッタリ見えたもんだから、嬉しくてしょうがなかったですよ。
--------浜松に着かなかったら、自分の責任ということになるのでしょうか?
前村‥もちろんです。伝声管で「浜名湖が見えました!」 って機長の三浦中尉に言うときには、嬉しくて思わず声が上ずっていましたよ (笑)。機長からの「よーし!浜名湖だなあ」と確認された声を聞いて、ガックリと腰を落としました。操縦士に不安を与えないで本当によかったと、薄氷の思いで過ごしていただけに、緊張が解けて安心したんですね。
--------その日は浜松に爆弾を抱えたままの着陸ですから、操縦される方もよっぽど慎重でないと危険でしたでしょうね。
前村‥慎重でしたね。2回目か3回目くらいにようやく着陸復航しましたよ。というのは浜松飛行場上空に着いたら、誘導燈も見えず5~6個の小さなライトが灯いていて、滑走路付近に戦闘機の「隼」が逆立ちしてるのが見えたのです。滑走路の周囲に3機か4機ありました。それらを避けて着陸しょうと、もう一回復航して、やっと着陸したんです。我々と同じように米軍機動部隊へ攻撃に行った戦隊隊が他にもありまして、それが帰還して不時着した機らしいですね。調布の戦闘隊だったそうです。爆弾を抱えたまま無事に着陸しましたが、燃料はゼロを差していました。
--------無事に帰還して、他の戦友の方々の様子はいかがでしたでしょうか?
前村‥機から降りて驚いたのは、逸木軍曹が足にケガをして歩けなかったことです。今軍曹と西巻軍曹が肩を貸して、やっと歩いていましたが、どうやら機長が「敵機動部隊が見つからないので浜松に帰る」と言われたことを残念に思って口惜しさのあまり、自分の拳銃の引き金を引いて、足の甲をぶち抜いたとのことでした。それを機長が私がケガをしたと思われたらしいです。
--------特攻と言いながらも無事帰って来たときの心境はいかがでしたでしょうか?
前村‥ホッとしたという気持と同時に、自分が責任を果たせなかったという無念の思いもありました。その夜私たちは浜松の基地に宿泊しましたが、機長は天井をギラギラした眼で睨みつけながら「あそこに敵機動部隊はいたのだなあー」とつぶやいていました。
翌日3番機は各務ヶ原に不時着し、操縦士と機関の方が敵弾に撃たれて負傷したとのことです。2番機の崎下少尉ほか5名と、戦果確認機の新海戦隊長以下5名の方々はとうとう帰って来ませんでした。
筑波に帰還して、戦隊長代理伊藤中隊長に三浦機長が状況報告の申告をされましたが、そのとき、「よく帰って来た。急いで死ぬばかりが国のためではない。この次もあるのだからよく休みなさい。ご苦労!」と温かい眼差しで、人間味溢れる言葉をかけられたのですが、目的を果たせなかったと自責の念がいくらか軽くなったのは、私ばかりではなかったと思いますね。
--------そのときには状況が判らなくても、戦隊長を含め何機かは帰って来れなかったと後で聞くと……
前村‥やっぱり気が重いですよね。