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特攻インタビュー(第1回) 後編 その11

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通常 特攻インタビュー(第1回) 後編 その11

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2011/12/22 8:09
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 陸軍航空特攻 前村 弘氏(後編)その11

 ◆再び墜落事故に…(2)

 --------(さくら弾機)は、間もなく飛び立って行ったわけですね?

 前村‥飛び立って15~20分くらいは飛行場の周辺を飛んでいまして、30~40分も経った頃でしょうか、トラックや自動車がサイレンを鳴らしてけたたましく走って行くので、あれ?何ごとかと思いまして格納庫から飛び出したら、ふと滑走路方面に眼をやって驚きました。濃灰色の機体が傾いて横たわっているんです。「しまったっ、墜落だっ!」と思ったとたん、全身の血の気が引きましたよ。
 70~80m先の滑走路には、オレンジ色をした腕状の爆弾がゴロンゴロン転がっていました。これが転がって、どっかで破裂したら大変だなんて思いながら、そのうちドッシリと停まりました。
 簡単に破裂はしないものらしいですが。

 すぐ走って来た自動車に私は飛び乗り、現場へ向かったのですが、すでに淀川曹長がかけつけていて、三沢伍長を引っ張り出していました。岡田曹長は下半身がほとんどエンジンの下になっていて、上体を出したままグツタリとしていました。顔は土色、生気がなく、軍刀が側に見えたので私は取り上げ、曹長を引っ張り出すべく上体に手をかけましたが、口唇がわずかに動いたように見えたものの、そのときは既に亡くなっておられたようでした。
 三沢伍長は顔面や上体に激しい重傷を負っていました。幸い呼吸があったので救急車で近くの軍病院に運んだものの、その夜に息を引き取ってしまいました。同乗していた航空廠の整備員1人は即死し、1人は頭に軽傷を負ったのみで奇跡的に助かったと聞いています。

 翌日は2人の遺体を火葬にして遺骨を抱え、旅館に安置しておいたんですが、我々は悪夢の様な出来事にマンジリともせず、とうとう一睡も出来ませんでした。
 その翌日、淀川曹長は私たち2人を加えた6人と機材類を、1機しかない(と号機)で大刀洗まで空輸しなければならず、さすがベテラン操縦士淀川曹長も慎重で、我々一人ひとりの体重までも調べた上、計算を何度も繰り返しては離陸、飛行計画に余念がなかったようで、その姿は印象深く今でも心に残っています。

 --------(着陸の失敗というより、液体燃料ということもあったので、ちょっとした接触で爆発したのでしょうか?

 前村‥そうじゃないですね、爆発はしなかった。

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