特攻インタビュー(第1回) 後編 その6
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陸軍航空特攻 前村 弘氏(後編)その6
◆再び特攻へ(1)
--------4月12日の太刀洗の移動の時には、特攻隊の出撃というのはもう分かっていて、その準備のために行くぞ、ということで行かれているんですね?
前村‥はい。このときは既に空中勤務者の区分は決まっていました。岡田曹長と三沢伍長と田中伍長と私の4人、このペアで決まっていましたね。
--------出撃が何月何日になるかまでは分からなかったのでしょうか?
前村‥ええ、まだ分かりませんでした。だけど4月12日にこの事故があって、筑波を出て17日には、私はもう特攻出撃していますからね。17日に出撃したということは、15日にはもう太刀洗から鹿屋へ進出しているんですよ。それで鹿屋に二晩泊まって、17日の朝早く6時半頃に離陸してますからね。鹿屋を離陸するときから「超低空で行け」という命令でした。
桜島も窓下に見えましたが、それよりも開聞岳(かいもんだけ)の方が印象に残っています。
どうも超低空で行くと、「薩摩富士」とも言われている開聞岳という山が、何か蟻の塔のように細長く見えましたね。それがいまだに強く印象に残っているんです。
超低空でずっと行って、奄美大島の右側、こっちから行ったら奄美大島を左側に見て、それから奄美大島から低空で行くと徳之島が見えて、その徳之島の太平洋側というのが、ものすごく切り立った崖でね、高い……それこそ、本当の切り立った崖だったですね。その崖の上に "亀津(かめつ)″という街がありまして、これが爆撃で相当やられていました。それらが近づくにつれて、だんだん見えてきましたよ。
--------もう何千mも上空じゃなくて、同じ目線くらいからずっとでしょうか?
前村‥そうなんですよ。徳之島を通って、それから「方向を変えろ」という命令だから、いったん大東島の方向へ行って洋上変針して、また与論島の方向に行くという約束だったから、その通りに行ったら前方の加藤中尉の飛行機がやっと見えたんですよ。いやあ、航法が間違っていなくて良かったなあと (笑)。そんなことばかりですよ。死ぬとか死なないってことよりも、まず航法を間違えないっていうことが最も重要でしたからね。だから前の飛行機が見えただけでも実にホッとしたのだけど、見えた途端に加藤機がやられてしまったでしょ。