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特攻インタビュー(第1回) 後編 その13

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通常 特攻インタビュー(第1回) 後編 その13

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2011/12/24 9:04
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 陸軍航空特攻 前村 弘氏(後編)その13

 ◆玉音放送を聞いて

 --------ご自分の搭乗機が失われて、しばらくは……。

 前村‥4月25日から、私はあまり乗る機会がなかったです。

 --------特攻隊に渡す稼働可能な飛行機もなくなっていたのでしょうか?

 前村‥ええ、ただね、4月末から5月になって、たしかパラチフスがはじまって、1カ月間隔離されていたから、それこそ訓練も何もないですよね。それで7月になって初めて訓練が始まったですね。

 --------その頃には、筑波の方に戻られていたのですか?

 前村‥ええ、その時は戻っていました。5月末か6月末に筑波に戻ったんです。

 --------そしたら伝染病になったってことで、伝染病棟に入れられてしまったのでしょうか?

 前村‥はい。
    
 --------7月くらいに退院してまた復帰して、飛行機がなくてそのまま、ということだったのでしょうか?

 前村‥そういうことですね。

 --------そうすると、7~8月になると間に合わなかったんでしょうか?

 前村‥もう7~8月は飛べる飛行機も少ないしね。7月半ば~7月末くらいから軍隊のご飯まで乏しくなってきたんですよ。それこそ、ご飯の米粒よりもジャガイモが多いというご飯を食わされてね、そういう状態が続いていましたね。

 --------そうなってくると、空中勤務者も陣地構築や食料増産を始められたのでしょうか?

 前村‥そういうことはやらなかったですね。ただ、飛行機があれば、3~4機ある飛行機を順々にまわして、鹿島灘の敵軍上陸に向けての飛行訓練は、やっていたみたいですね。私はあまり乗らなかった。航法はもういらなかったのでしょう、あの頃は……。

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