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特攻インタビュー(第1回) 後編 その9

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通常 特攻インタビュー(第1回) 後編 その9

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2011/12/20 7:31
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 陸軍航空特攻 前村 弘氏(後編)その9

 ◆再び特攻へ(4)

 --------この4月12日以来、17日に鹿屋に戻られて、その後一回太刀洗にまた戻られるんでしょうか? それともそのままずっと鹿屋にいらっしゃったのですか?

 前村‥いえ、鹿屋に帰ったらね、もうその飛行機は被弾が激しくて飛べなかったんですよ。「飛べない」 っていう判定を受けて、その晩に太刀洗から迎えに来てくれました。迎えに来てくれた人が、岩本大尉という整備班長と大熊中尉という操縦士でした。17日に帰還したら17日に、そのまま鹿屋に泊まらないで太刀洗に帰りました。

 --------特攻隊に出撃し、いろいろな理由で戻られて来た方の中で、「何で帰ってきたんだ」とか言われたという話を聞くのですが、前村さんの場合はそんなことはありませんでしたか?

 前村‥私の場合は全然そういう場面はなかったです。だけど、岡田さんが機長として、私が知らない間にあの辺に来ていた参謀から怒られたのかなあ?という想像はするんですよ。おとなしい岡田さんは、あまりもの言わなかったですから。

 --------岡田機長さんは、少年飛行兵出身とか?

 前村‥いや、これが単なる下士官あがりの曹長なんですよ。

 --------普通の兵隊さんで入隊して、下士官操縦として合格して転科されたのでしょうか?

 前村‥そうです。おとなしい人だったけど、誰かに何か怒られたのかなあという想像はします。…というのは、その17日に帰って来て、1週間後には私なんかも一緒に各務ヶ原へ (さくら弾機)を受領に行っていますからね。もともと寡黙な人で、各務ヶ原で飛行機を受領してからも、あまりお喋りしなかったように思います。

 --------ちょっと落ち込んでるっていう感じでしょうか?

 前村‥それが参謀から怒られてなのか、それとも何か予感がしたのか……その辺は私にはよく分からないんです。私は自分が死なないで済んだなあっていうような単純な気持ちだったからかもしれません。あるいは岡田さんほどの責任感はなかったからかもしれない。

 --------もうその頃になると、宇都宮から一緒にいらした10人くらいの同期生は、一人欠け、二人欠けという状況だったのでしょうか?

 前村一そうです。新海さんが3月19日に亡くなったときに、小見忠三郎が帰って来なかった。新海機に乗っていましたからね。4月17日のときには近藤知康が(さくら弾機)で死んでるし、4月17日までは同期の連中ではそんなもんでしょう。

 --------すると同期の方も何人かいらっしゃったので、そういう人たちと一緒に憂さを晴らすということもできたんですね?

 前村‥そうです。そして5月25日になったら、出撃して永野が亡くなっとるんですが、でも花道は帰ってきたし、大内も帰って来たし……彼らは行くときに階級が上がって行ってるからね (笑)。私たちは兵長のままなのに、彼らは伍長になって下士官室にいるでしょ(笑)。

 --------前村さんは兵隊と一緒なのに?

 前村‥兵隊さんと一緒です(笑)。

 --------一応立場上は、上官と部下ですね。

 前村‥そうなんですよ。「おい、お茶持って来いー」なんて威張りやがって(笑)。その話を戦後「お前らあのとき威張ってたなあ」なんて言うと「俺、そんなに威張ってなかったよ」なんて言って…(笑)。

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