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特攻インタビュー(第1回) 後編 その8

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通常 特攻インタビュー(第1回) 後編 その8

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2011/12/19 8:21
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 陸軍航空特攻 前村 弘氏(後編)その8

 ◆再び特攻へ(3)

 --------グラマンを振り切った後はどうされたのでしょうか?

 前村‥やがて岡田さんは与論島まで行き、それから日本海方面に抜けて、特攻を断行すべく沖縄方面へ向かったのですが、燃料がなくなって片方のエンジンが止まってしまいました。それじゃどうするかというので、「とにかくいったん帰れるだけ帰って、途中の島かなんかで砂浜にでも不時着して、もう一回燃料を積み直して出撃しましょう」と、偉そうに機長に意見を言いました。岡田さんは話を聞いてくれて、鹿屋に帰ることにしました。鹿屋に着いたら機体に2cmか3cmくらいの穴が30個ほど空いていました。戦闘機に撃たれた跡です。どこであんなに弾が当たったのかなあと不思議でしょうがない。よく帰って来れたなと思いました。もちろん、その飛行機は再び飛べる状態ではありませんでした。

 それっきり私は出撃していないんです。5月25日の4機での特攻出撃の際も待機でした。もう飛べる飛行機も無かったですけれどね。出撃前に(さくら弾(キー67を改造し重さ2・5トンの対艦用大型爆弾を機体上部に内装搭載した特攻機で前方3km、後方2kmは火の海になると言われていた))という重爆機を取りに行ったんですが、(さくら弾機)は試験飛行中に事故で墜落していました。もし(さくら弾機)が墜落事故を起こしていなかったら、5月25日の溝滝機・福島機・工藤機・古田機の中に入って、私も特攻に行っているはずなんです。

 --------機内で銃弾を受けて亡くなったとか傷ついた方はおられましたでしょうか?

 前村‥誰もいませんでした。怪我した者もいませんでした。

 --------800kg爆弾に誘爆もしなかったのでしょうか?

 前村‥ええ、それで鹿屋に戻っても無事に着陸できて、よく爆弾を2発抱えたまま着陸したものだなと肝を冷やしましたけれどね。

 --------当時、鹿屋は海軍の飛行場ですが、陸海軍共同で使っていたのでしょうか?

 前村‥いえ、原則的には使っていません。なにしろ緊急着陸でしたからね。うちの陸軍飛行第六二戦隊の飛行機が海軍の基地を利用させて貰ったのは、緊急とはいえ我々くらいじゃないでしょうか。

 --------大体陸軍機の特攻は、万世や知覧から飛んでいましたね?

 前村‥知覧とか万世は飛行場が小さく滑走路が短いから、戦闘機の特攻はそれでも良いのですが、重爆撃機の特攻では使えませんでした。戦隊でも重爆撃機戦隊で特攻命令を受けたのは飛行第六二戦隊だけで、他は受けてないんですよ。飛行第六一戦隊なんか雷撃隊で活躍してたけど。飛行第六二戦隊だけなんですよ、特攻部隊として出撃指定されたのは。運が悪いっていえば運が悪いんでしょうが、誰かが悪いわけじゃないけどね。

 --------それでへさくら弾機)や(と号機)は飛行第六二戦隊に配属されたのですか?

 前村‥そうなんです。飛行第六二戦隊以外には、(と号機)も(さくら弾機)も特攻では行っていません。

 --------(さくら弾機)を実際に見た人は、飛行第六二戦隊の方しかいないのでしょうか?

 前村‥いないです。普通の飛行機よりもちょっと色が濃い気持ちの悪い灰色をしていて、不気味な格好の双発飛行機でしたよ。

 --------(さくら弾機)は太刀洗で受領されたのでしょうか? それとも各務ヶ原ですか?

 前村‥各務ヶ原でした。

 --------前村さんがご覧になったのは、各務ヶ原でしょうか?

 前村‥そうです。その前に近藤が乗ってた金子機(さくら弾機)は、それは太刀洗で見ました。






















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