特攻インタビュー(第1回) 後編 その16
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編集者
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前村弘(陸軍特幹一期生)軍歴
1942年(昭和17年)12月
長崎市立商業学校卒業
1943年(昭和18年) 1月
東京都芝区三田住友通信工業無線工場入社
(現在港区三田日本電気株式会社)
1944年(昭和19年)4月20日
陸軍特別幹部候補生第1期生として合格
浜松第七航空教育隊三中隊入営
約3ケ月軍隊訓練と共に重爆撃機の整備について教育を受ける。
7月末頃
第二期生入隊に対し、1期生として3人が指導候補生として初年兵指導を担当。
指導教育は私に合わないと東京調布飛行場にて空中勤務者の試験を受け合格。
8月初旬
宇都宮飛行部隊航法学生として4ケ月教育を受ける。
一式双練で実地訓練・洋上訓練・天測航法などを学ぶ。
12月下旬
宇都宮飛行部隊航法学生としての教育修了。
西筑波基地にて陸軍飛行第六二戦隊へ転属。
戦隊の大部分は未着で1名の将校と下士官1名がいたのみで、約2ケ月近くやることもなく、ぶらぶらしていたこともあった。
1945年(昭和20年)2月末
飛行第六二戦隊の主力が南方から帰着するとともにキー67(飛竜)が2機3機と配属され、ほとんど操縦訓練主体であった。
ただし航法者も大半は搭乗していたが、航法訓練はあまり実施できなかった。
3月12日頃
主力約10機で大分海軍航空隊の基地へ移動。
艦船攻撃の目標での跳飛弾爆撃訓練がほぼ終日あり、実に猛訓練であった。
3月18日
早朝6時頃、米艦隊が接近して来て戦闘機により基地は猛爆を受け被害甚大。
我が戦隊でも半数ほどの機が犠牲になった。
約60~70名の飛行第六二戦隊の空中勤務者たちは一様に私物を空襲で焼失、丸一日食事も取れなかった。
3月19日
早朝、大分基地を出発、西筑波基地へ帰着。
昼頃、突然の集合命令で飛行場に行ったが、浜松南方沖の米機動部隊に対し出
撃命令あり、「攻撃ハ特攻トス」と黒板に記載されてあった。
攻撃機3機、戦果確認機1機(戦隊長・新海希典少佐自ら搭乗する)の誘導を
航法で行った。残念ながら4機中2機末帰還、2機は浜松基地と各務原基地に不時着した。
4月12日
沖縄戦に対して飛行第六二戦隊は特攻部隊に指定され出発、大刀洗飛行場に集結。
4月17日
飛行第六二戦隊から第一陣として特攻3機が出撃するも与論島付近で敵と遭遇し特攻失敗。
2機末帰還。搭乗していた機のみが燃料ギリギリで鹿屋基地に帰着。
被弾20~30発でよく飛べたものと降りてから冷やっとする。
5月25日
4機出撃(うち2機が<さくら弾>、2機が<と号機>)するが搭乗せず待機。
以上で飛行第六二戦隊の特攻攻撃は終了した。