特攻インタビュー(第6回)・その6
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特攻インタビュー(第6回) (編集者, 2012/5/12 7:59)
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編集者
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陸軍航空特攻 堀山久生氏
◆地上で死ぬより特攻で
--------乙種学生を終了して作戦補充要員……実戦部隊からお呼びがかかり、転属するのを待つ身になったのですね。
堀山‥天竜飛行場では昭和20年3月30日の終了前に、第一、第四十教育飛行隊に2人、特攻に2人出て行き、残り40名は飛行場を分散、秘匿するための土木工事をしていました。
--------待っている間、特攻隊に行くという気持ちが強かったのですか。それとも、通常の戦闘機隊に行きたいという……
堀山‥射撃の成績が30発60点満点で13点と、よくありませんでしたが、戦闘機隊に行けたらとは先ず思いました。しかし、本心は、もし敵が上陸した時、こちらの飛行機がすべて焼かれてなくなっていたら、飛行場の兵隊たちに鉄砲を持たせても、とても戦闘などやれません。歩兵とは比較にならない弱兵で、そんな者を地上で指揮して死ぬなんて、航空転科の意味がまったくなくなります。どうか飛行機にありつきたいと考えていました。
--------そうしているうちに、第十六飛行団付という命令が下ったそうですね。
堀山‥他の飛行場の同期生の特攻は昭和20年5月3日発令と言いますが、5月5日、兄が天竜に会いに来た時は未だに命令は来ていなかったから、その後だと思います。3人の発令(室山五男、松田二男、堀山久生)を先ず久保さんが間違えました。十六飛行団は茨城県下館飛行場で第五十一戦隊と第五十二戦隊が戦力回復中で、「どの戦隊か後命を待て」と四式戦隊への内命を喜んで下さり、安心して飛行機分散の土木工事に励んで一週間が過ぎました。松田二男と言う男は気が利く男で、天竜の通信隊に頼んで明野本校に照会してもらったところ、本校からは「なぜ行かぬか」との返事。20日昼、疎開児童に見送られ天竜を出て、21日に下館に出頭。山田邦夫中佐(十六飛行団長)に、「遅い上に身辺整理もせずに来るとは何だ。貴官たちは特攻要員だ。ここは1名だけでいい。東京で2人あるかもしれぬ。すぐ行け」と大叱られ。野田毅少佐(48期/部員)が「市ヶ谷の第三十戦闘飛行集団で聞け」と言われ、下館の同期生にも会い、一泊して22日に市ヶ谷に出頭。そこでも編成は完了と言われ、明野に帰る他なし。
ところが、松田はしっかりしていて女子事務員に開くと、成増で隊長2名が未着と言う。「助かった」と改めて申し出て、新藤常右衛門大佐から松田は一九三、堀山は一九四ということで、私は「仮編決と号一九四飛行隊長」を命ぜられました。これはもう沖縄特攻ではなく、本土決戦の特攻隊長でした。
着任が遅れて明野に戻されては将校の面目が立たない2人は、自分で特攻に割り込んだわけです。その時の気持ちとしては「ああ、やっぱり特攻か。防空戦闘隊なんて話がうま過ぎたよ。でも四式戦闘機の特攻隊長なら有難い。もう言うことはない」と朗らかなものでした。でも、当時は陸軍の人事も大分、乱れていたことが判ります。特攻隊の編成は、隊員は飛行戦隊に一応配属し、その戦隊で振武隊を編成します。第一九四振武隊は飛行第四十七戦隊で、隊長が着任して部下を掌握した昭和20年5月23日が編成日になります。