特攻インタビュー(第6回)・その14
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編集者
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陸軍航空特攻 堀山久生氏
◆マークと隊名にこめた想い
--------机の上の四式戦の模型がありますが、操縦席の近くに「194振」と書かれていますね。実際の機体にも同じように書かれていたんですか?
堀山‥普段は書かず、出撃と決まってからです。この本……「館山の空」に、隊員が大きく番号を書いた写真がありますが、もうこれで最期だからと隊長が許したのでしょう。この模型は友人が精密に作ってくれたものです。マークは私が考えたもので、「194」の字を1、9、4に分解して爆弾に表し、敵の空母に我々の爆弾が命中して波間に沈めるという意味です。出撃まで訓練も進んでいなかったので隊員にも言っていません。だから、マークのことは隊員も知りません。
--------マークだけでなく、第一九四振武隊の隊名も考案されたそうですね。
堀山‥当時、番号の他に皆、隊名をつけました。私も「深山桜(みやまざくら)隊」としました。東京の三輪田高女の妹が女子挺身隊として大本営第二部にいました。そこに51期の渡辺正という地図係の参謀がいて、彼が陸士予科の区隊長時代、「花は深山の山桜黙々咲いて淡々と 雲煙遠く世を眺め万朶の桜と 薫るなり」という歌を作って、流行歌の「男の純情」の節で生徒に屋上で歌わせたという。妹は「黙々淡々」と言い、小生も同感。私の先祖が松阪で、本居宣長という有名な国学者の出身地でしょう。「敷島の大和心を 人問はば 旭に匂う 山桜花」……それで、これにしました。部下には「我々は深山の山桜のように人知れず咲き、人知れず、ただ任務だけを果たして黙って死んで行こう。戦果確認機はいらぬ」と言い、皆、賛成しました。第一九三振武隊の松田二男君のは「七生白虎隊」といい、天皇への忠臣・大桶公の誠忠の七生報国と、仙台幼年学校出身の彼は会津の白虎隊の忠烈とを併せたものです。百式司偵の第二七二振武隊の長沢隆徳中尉(航士/少尉候補生24期)は「轟隊」で、おそらく「空母轟沈」を祈ったのでしょう。