特攻インタビュー(第6回)・その9
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編集者
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陸軍航空特攻 堀山久生氏
◆隊長としての部下への接し方(2)
--------館林で初めて四式戦に乗られたということですが、慣れるまで時間がかかりましたか?
堀山‥ただ乗るのなら、飛行時間があればそう難しいとは思えませんでした。しかし、一式戦のエンジンの馬力の1・5倍で、2000馬力近い四式戦は胴体が太すぎて、乗せられているといった状態で、操縦が手に入ったとは言えなかったと思います。
--------それまで、九七戦、一式戦「隼」、四式戦「疾風」などを乗り継いでいらっしゃいます。それぞれ長所短所があると思いますが、一番乗りやすい、好きな戦闘機はありますか?
堀山‥好きなのは「隼」、一式戦二型でしょうか? 4機編隊で離陸上昇中、脚を入れる時、車輪が左、次が右と胸を抱くような形で収められ、見とれていました。
--------特攻隊に配備される飛行機は旧式のものが多かったと聞きますが。
堀山‥とんでもない。館林の四式戦は中島飛行機の太田工場から、全くの新品を72機もらいました。全員が計器盤から飛行時計を外し、首にぶら下げていました。
--------操縦も大変でしょうけど、航法の習得も難しいのでしょうね?
堀山‥狭山では基本操縦時代に一辺20分の三角航法を実施。狭山-秩父-皆野-狭山だけで、それは、まあ無事に出来ました。知覧から沖縄の距離は約700kmで、2、3時間の目標もない洋上航法は大変だったでしょう。本土決戦の場合は敵の上陸を待つので、もっと近くで少しは楽だったと思いますが、結局、出撃しなかったので腕前は分かりません。小型円形の航法計算盤ももらい「推測航法」の教育を受けましたが、敵戦闘機の見張りをしつつ右手で操縦梓を、左手で計算盤を扱っても正確に扱うのは至難と思います。誘導に別に飛行機が必要だったでしょう。日本海軍の戦闘機はどうしたのでしょうか?
--------「沖縄へ出撃」と言葉では簡単でも、実際にたどり着くのは大変だったわけですね。
堀山‥正確に着くのは、それは大変です。たどり着く前に敵の遊撃を避けねばならず、目標が移動すれば又、位置が不明です。おおむね程度の航法なら頭のいい奴の例があります。航士57期の結城造君(第四十二振武隊)は、種子島まで2時間、南へ飛び、そこで西に30分飛んで徳之島に着いた由。100kg爆弾で巡航速度140kmと言うので、もっと速いのでは?と尋ねた記憶があります。