特攻インタビュー(第6回)・その10
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編集者
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陸軍航空特攻 堀山久生氏
◆特攻訓練マニュアル(1)
--------この「館林の空」(※注1)という本を読んで初めて知ったのですが、特攻隊の訓練について詳細なマニユアルがあったのですね。当時、こういうものが配布されていたのですか?
堀山‥「館林の空 資料編」に掲載した「と号空中勤務必携」は、戦後、友人の押尾一彦(四式戦研究家)から頂いたもので、昭和20年5月作製とあります。これだけ立派な内容は多分、熊谷陸軍飛行学校が航空本部の指導で作ったのでは?と思います。超低空水平攻撃の場合のデータは百式司偵、九九軍偵、九八直協らしく、下志津飛行学校の作業に見えます。これで訓練した隊もあるでしょう。それを知りたいと思います。
我々、第三十戦闘飛行集団は、本土決戦に備え「館林集成教育隊」を設けて特別に集合教育を徹底し、四式戦12朋 隊72名、百式司偵10隊32名(機上通信8名含む)、キ115特攻3隊、合計122名の特攻隊員がおりました。おそらくは当時、一飛行場にかくも優秀機ばかりの特攻機を多数集めた特攻基地は他にないでしょう。
19人の特攻隊長は「と号部隊戦闘要領」をもらい、それで訓練をしましたが、各地に分散されていた特攻隊長は多分、持っていないのではと思います。
その中に、「特攻隊の本領は、生死を超越し、真に捨身必殺の精神と卓抜なる戦技を以て、独特の戦闘威力を遺憾なく発揮し、航行又は泊地における敵艦船艇に驀進衝突し、これを必沈して敵の企図を覆滅し、全軍戦捷の途を拓くにあり。而して本攻撃成功の根基は、実に空中勤務者の精神力に存す」とありました。加えてさらに、厚さ3cm位のB5版左横綴じの「敵艦船識別法」という、敵の軍艦、船舶、飛行機の三面図に、写真、性能、要目のある本も資料として配布されました。特攻については他にも、軍司令官クラスの上級指揮官用には「高級指揮官のと号部隊用法」があったようです。