特攻インタビュー(第6回)・その8
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編集者
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陸軍航空特攻 堀山久生氏
◆隊長としての部下への接し方(1)
--------特攻隊長として、部下への接し方に気をつけたことはありましたか?
堀山‥生まれて初めての隊長ですので、部下から申告を受けた際は、ちょっと演出していかにも偉そうに「おう、待っていてくれてご苦労だったな」と、でかい態度をしました。指揮官は初めて部下を持つ時の態度が大事。オタオタしていては部下に嘗められ、後で困ります。で、地上部隊のやり方で済ませたのです。何、部下はコチコチですからわかりません(笑)。予備役の副隊長がまだ来ないので、「現役の将校と現役の下士官だけ5人でやろう」と言いました。陸士と少飛(少年飛行兵)は現役で、指揮には嘘のないことと、公平、愛情が必要です。私は父に子供の時から写真を習い、館林では少飛出身の4人の伍長に、私の陸軍中尉の服装に将校の軍刀を白い手袋で持たせ、写真を撮ってやりました。伍長が特攻戦死すると少尉になりますが、その時は写真に残す身体がありません。皆、自分の将校姿に大喜びでした。館林に到着して酒井隊長から、「9月下旬までに訓練を完成して、北九州に展開すべし」との内示を受けましたが、誰にも言いませんでした。夏になって辞世の歌を作りましたが、9月末が命日と思っていましたから、「秋空や 純忠の義に 雲を越え」としました。
もう一つ、少々長い話で恐縮ですが、副隊長着任の話をしましょう。上田克彦少尉と言い、大正7年生まれの飛騨高山の材木屋さんの息子さん。私は中尉で大正12年生まれ。5才上で北海道大学農学部林学科卒、帝室林野局員。第二十一振武隊で一式戦三型に乗り、昭和20年4月12日、知覧を出撃して之島に前進。ところが、そこで飛行機を焼かれて5月末、福岡に帰還。明野から再配属というおとなしい方でした。写真結婚と言って、花嫁衣装の新婦の隣には、飛行機服の新郎の写真のみの結婚式。聞いて気の毒に思い、「上田さんお気の毒で、奥さんをこちらに連れていらっしゃい。部隊で吉川旅館に一部屋準備してもらい、今度出るまで一緒にお住みなさい。それから4人の少年飛行兵をお預けしますのでよろしく」と言い、少年飛行兵には今まで現役だけでと言ってきたので、「上田少尉は特操の1期だが、北海道帝国大学のご出身で帝室林野局の役人。すでに二十一振武隊員で沖縄に出撃され、我々より技量は上だ。尊敬せねばいけない。今後、お前たち4人は上田少尉に預けるから、何かあったら上田少尉を通じて俺に言ってこい」と言い渡しました。可愛い奥さんも到着。20才以下の少年飛行兵は皆、上田少尉のところに行き、我が隊は明朗でした。
しかし、私は厳しいこともあり、ある時、4人の部下の銃剣を見たら挨だらけ。怒って、他隊の前で「一九四振武隊は銃剣を持って来い」と言いました。4人は途中で軍服でもこすれば、少しは攻も取れるのですが、そのまま持ってきた。「さすが、現役下士官は陸士並の精神教育を受けているな」とホロッとしましたが、はめるわけにもいかず、一発ずつ鉄拳を振るい、「少年飛行兵の伝統の名に恥じよ。30分後、再点検する」と言って点検を終わりました。でも、その後は、いつもと同様、私の落下傘の縛帯を飛行場まで持って来てくれました。悪いことをすれば殴られるのは当然の世界でした。飛行訓練の場合、操縦の操作が悪かったらぶん殴り、館林の戦闘隊も殴りました。司令部偵察機の特攻の連中は、「戦闘機隊は殴られている」と怖がったと聞いています。