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特攻インタビュー(第6回)・その16

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通常 特攻インタビュー(第6回)・その16

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2012/6/10 6:13
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 陸軍航空特攻 堀山久生氏

 ◆突然だった終戦(2)

 --------終戦の8月15日を境に、軍人を見る国民の目が厳しくなったという話を聞きますが。

 堀山‥いくら日本人は軽薄といっても、そんなことはないです。昔から、「今どきの若い者は」と言われたものですが、当時、我々「特攻隊員」に言った者はありません。手を返したように、あなたはそんな事を当時の国民が我々に言えると思いますか?

 --------ご自宅に戻られてからは?

 堀山‥昭和20年9月27日復員。10月杯は東北の有畜帰農講習会へ。ところがインフレが始まり、帰農は止めて大学受験に方針変更しました。11月から小平の進学講習会へ。そこでは陸軍の文官の教官などがいろい教えてくれました。でも、微分方程式など数学も大分、忘れていて理系を文系に変更。占領軍の軍学徒一割制限の下、昭和21年春、慶應義塾大学の法科に進学しました。父に叱られた前非を悔いて3年間勉強し、卒業の成績は父に喜んでもらえました。

 --------特攻隊長から大学生と環境が大きく変わったわけですが、心の整理みたいなものは特別にあったのでしょうか。

 堀山‥終戦の時、戦争に負けたのは悔しいが、祖国を再建し、昔日の日本を再現してやると決心したので3年間の勉強はその準備と決めていました。慶應1年の時、小泉信三塾長を「福沢先生研究会」の皆で訪問した時、海軍の青年将校の写真があったので先輩に聞くと、一人息子さんが海軍で戦死されたという返事でした。現役の特攻隊長が負けて大学に入れていただき、塾長の令息は亡くなっておられ、これには申し訳なく思いました。

 --------戦後、陸軍軍人だったことや特攻隊長を経験したことは役に立ったと思うことがありましたか?

 堀山‥陸士は私に最高の教育をしてくれたと思います。戦後、勤めた三井東圧化学で副社長(東大出身)が、「君には部下がついてくるが、彼にはついて来ない」と東大の同僚と比較されたこともありました。頭もある程度いい。体は良いし、金は間違いないし、実行力はある。会社の体制派からみれば、こんな使いやすい社員はなく、まあ、体育会系みたいなものです。

 --------軍隊体験と言っても、隊長として部下を持った体験は特別ですか?

 堀山‥そうです。同期生でも隊長をやった男と、やったことのない男では明らかに差があり、副隊長と隊長でも違うでしょう。隊長は本当に最終責任者ですから。逃げられないのです。

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