特攻インタビュー(第6回)・その11
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特攻インタビュー(第6回) (編集者, 2012/5/12 7:59)
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編集者
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陸軍航空特攻 堀山久生氏
◆特攻訓練マニュアル(2)
--------堀山さんも配布された書類に基づいて訓練計画を立てたのですか?
堀山‥昭和20年5月初めから館林に先着し、訓練を開始した第一八一、一八二、一八五、一八六振武隊の4隊・第一組は当然、攻撃計画まで出来て、関東平野で高度100mでの低空航法や羽田沖の仮設目標に対する超低空攻撃の訓練を済ませていました。実際、私が6月3日に着任した際、館林飛行場の北の、東武鉄道小泉線に沿った松林を掠め、さらに高度を落として10から15m位を時速550~580kmで南に飛び去る四式戦の姿は凄い気迫でした。その姿に、「歩兵の突撃もかく在るのか!」と感動し、アルバムの四式戦の写真の下に「我等の突撃機」と書き込んだ位です。私は配属が遅く、四式戦12隊の内、第一組の4隊の四式戦特攻のようには未だ特攻の本格的な訓練に入れず、第三組の4隊で一九四が最後、ようやく編隊飛行の程度でした。残念ですが、私は超低空を一度もやらず、体験のない突入訓練に嘘は言えません。
教育で面白い事がありました。中学時代入手した「海と空」の臨時増刊で、「商船の形態」という東京高等商船学校(現・東京海洋大学) の教授の本があり、内藤博弼君(第一九二振武隊長/57期)の「精神訓話」と引き換えに、これで2隊を教育しました「陸軍の攻撃目標は軍隊輸送船で、商船と同じ船首楼、船橋楼、船尾楼と絵の如く3個の山が特徴だ。これを『スリーアイランドベッセル』と言う。『三島型船』である」と教え、後で試験をしたら、皆、英語の方で答えが出ました。「精神訓話」を他人に頼むのはどうかと思いますが、内藤君は広島幼年学校出身の立派な精神家でしたから。
その後、隊のことは上田少尉に任せて、すっかり手を抜き、一生懸命に「体当たりの方法」を研究しました。指示された部隊の訓練は「超低空喫水線上水平攻撃」ですが、せっかくの250kg爆弾2発のエネルギーを無駄に空中に飛散させるより、水面下に入って水中爆発させれば、これでも海軍の800kgの魚雷に似た大きな効果が得られるはずだ。最初に海面に入る時に瞬発信管を短延期信管に切り換えておいて、0・何秒か後で爆発させれば手前で水中爆発でもいい、多分大量の海水が侵入するか、輸送船の舷側を突き抜けた後ならボイラーも爆発し、敵の1万トンクラスの軍隊輸送船なら一挙に、敵兵千人、戦車、重砲、武器、弾薬多数を轟沈出来るのではという結論に到達しました。6月頃、第三十飛行集団の高橋太郎参謀(50期/少佐/飛行第九八戦隊長/台湾沖航空戦に四式重爆(飛竜)を雷撃機として参加、一撃でほとんど全滅) に館林飛行場でこれを意見具申したら、「面白い。考えて返事しよう」と言われました。ところが7月に第三十飛行集団は市ヶ谷から熊本・健軍に移動。多忙でご返事はなし。部下には私のやり方を強要出来ずにいましたが、自分だけでもテストするつもりでした。陸士時代、戦術作業もあまり良くない成績でしたが、これは一生懸命に考えました。なにしろ自分の生命を賭けた一世一代の体当たり攻撃ですからね。ですが、実行に移す前に戦争が終わりました。