特攻インタビュー(第8回)・その2
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編集者
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◆海軍飛行予備学生に志願
--------粕井さんは海軍飛行予備学生13期生ということですが、海軍飛行予備学生とは、どういう制度だったのでしょうか。
粕井‥海軍飛行予備学生は第1期生が入隊した昭和9年以来、10年以上続いた制度です。海軍では、海軍兵学校を卒業した正規の士官以外に予備士官というのがありました。飛行科の場合、民間に飛行連盟というのがありまして、飛行操縦を勉強していた学生かいました。数十人くらいの数に過ぎませんでしたが、その人たちの経験を生かそうと、海軍が学生飛行連盟などに話をして、志願者があれば予備士官として採用しようということになったのです。海軍ですから商船学校出身の民間船舶の航海士、そういう人たちを海軍の予備役として編入する制度もありました。
アメリカでは、昭和16年頃から高等専門学校以上・大学卒業者から搭乗員を大量に養成する制度ができたらしいです。日本はそれより遅れて、戦局が厳しくなった昭和18年、搭乗員を急いで増やさなければということで、それまで100人以下、あるいは、せいぜい数百人だったのが、私が入隊した13期の場合、一気に5000人以上という募集をかけました。その時の日本国内の雰囲気は、戦争ムードというか、一国を挙げて米英と戦わなければならないということで、学業の期間も繰り上げ卒業で短くなっていました。当時、大学や高等専門学校の学生には徴兵猶予という制度があり、徴兵検査を受ける満20歳になっても、兵役を免除されたのですが、そういう制度も問もなく廃止になるということで、同じ軍人になるならば早いうちに、それも昇進が早い……予備学生は最初から士官待遇ですから。それから、やはり飛行機に乗れるというのはその時分、かっこ良くてあこがれでした。それに海軍の制服もかっこ良かったですから、それで志願したというわけです。
--------志願された時は学生だったのですか?
粕井‥私は4人兄弟の2番目ですが、兄と弟は体が丈夫で父親が工業学校に行かせたんです。私は兄弟に比べるとそんなに立派な体ではなかったので、「お前は商業学校に行け」と父に言われました。昭和16年3月、商業学校を卒業する時、働きながらでも、もう少し学歴を付けたくて夜学の専門学校に入ろうと思いました。私は大阪に生まれ、大阪で育ちましたが、当時の大阪には夜学の専門学校が2つしかありませんでした。関西大学の専門部と日本大学大阪専門学校です。会社に近い……近いといっても7キロほど歩きましたが……大阪専門学校に入りました。会社と学校と自宅の間を通いましたが、戦争が厳しくなり、もう軍隊に行こうと志願したのです。
専門学校を昭和19年3月に卒業する予定でしたが、繰り上げで、昭和18年9月末卒業になりました。飛行予備学生に合格したので、結局、卒業を待たずに9月13日、三重海軍航空隊に仮入隊し、10月1日に正式の予備学生に任じられました。専門学校の卒業式には、私の代わりに親が参加しました。
--------夜学に進学するほどですから、何か夢や目的があったのですか?
粕井‥そうですね。満州国の行政官、専門学校以上を出ていれば、満州国の高等文官になる資格がありました。それから、今でいう司法試験ですね。あるいは、行政職でも高等文官行政職試験というのがありましたから、そういう試験を受けてみたいという気持ちがありました。それから、当時の新聞の人事欄に南方司政官というような……これは占領地域に対する行政に携わる職業だと思いますが、そういうものも非常に魅力的に映りました。