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特攻インタビュー(第8回)・その9

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通常 特攻インタビュー(第8回)・その9

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2013/5/25 7:44
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 ◆「赤トンボ」特攻隊の編成  1

 --------国分航空隊時代は日本の敗色が強くなった時期ですが、燃料不足などで、訓練が滞ったりしたのですか?

 粕井‥昭和20年1月、一般的な飛行訓練を続けるには機材も燃料も足りないということで、200人の中から100人だったか……下士官入れて200人に絞ったか、ちょっとあいまいですが、その絞った人数で限られた燃料で集中して特攻が行えるような訓練をせよということで特攻隊編成になりました。特攻配置以外になった連中は、すべて搭乗員配置から外されて各基地の穴掘りとか、そんな仕事に従事しました。

 --------その特攻隊編成の命令で、特攻がはじめて身近なものになったのですか?

 粕井‥そうです。それまで、いろいろと聞いてはいました。関行男大尉が亡くなったり、その前後に何機か特攻出撃があったということは聞いていましたが……。普通は、相当、練度が上がっている実施部隊の中で特攻に行けですよね。ところが、我々の場合は訓練効果を上げるために、選別した連中に対して、集中して特攻訓練を行うということです。それが昭和20年1月に始まったわけです。

 --------特攻隊編成の命令を受けた後のことを教えてください。

 粕井‥私は、その前に内示を受けて、練習生100名の中から25名を選べと。操縦技術優秀で、なおかつ長男でない次男、三男で、いつ特攻で戦死しても家系が絶えない人を選べと言われました。

 N--------粕井さんは、選んだ練習生にどのように伝えたのですか?

 粕井‥まず、候補者を名簿で出して、その後、全員を集合させ、「今から特攻編成を行う」、「メンバーは今から読み上げるから、その者は一歩前へ出ろ」と言いました。だから、本人たちはその時まで知らないですわな。雰囲気として、薄々、わかっていたでしょうけども。名簿に載っていない練習生は搭乗員、搭乗配置から外されましたから、皆、「予科練じゃなしにドタレンや」、「土方のドタレンや」と言いましたね。それから士官は皆、方々の航空部隊へ転勤になりました。それと当時、「空地分離」という管理方法になったんです。「空」というのは搭乗員と航空機を整備する最低限の整備員。それは飛行機と一緒にあちこち行くわけです。「地」というのは、基地の営員です。というのも、今までみたいに空地の要員が一体になって異動することが出来ないわけです。だから、「空」だけは戦局に応じて、あっちこっち迅速に異動できるような体制になったわけです。

 --------特攻隊編成になると、それらしい名前がつけられたのですか?

 粕井‥はい。私たちの場合は、「神風特別攻撃隊・乾竜(けんりゅう)隊」です。一緒に、「坤竜(こんりゅう)隊」も編成されました。「乾坤一擲(けんこんいってき)」から取ったものです。後に国分と大分に分かれた時、「乾竜隊」は国分に、「坤竜隊」は大分に配置されました。

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